ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

静寂は ここにある・・・

❤ 私の心が静まるとき、世界もいっしょに静まります。

 

自分の外側に表れているものは、

すべて自分の内側にあるものの反映だから。

 

そんなことをしみじみ感じています。

 

イラついたり、不安に駆られたとき、

波立った心を静めたくて外側にあるもの、

たとえば、人の気持ちや起きた出来事を操作しようとしても、

たいていは思うようにいきません。

 

それで、ますます焦ったり、

人を恨んだり、

自己嫌悪に陥ったり・・・

 

そんな体験を数えきれないほどして、

「自分が操作できるのは、自分の内側しかない」

ということを知りました。

 

「でも…内側の操作ってむずかしくない?

操作っていったい何をするの?」 

と思ったあなた、

 

答えはシンプルです。

心というこん炉に薪をくべなければいいんですよ。

 

具体的に言うと、

でも… だけど… ここままじゃ…

の続きを考えないということ。

 

何とかしなければ…と恐れる気持ちをなだめて、

わき起こる思考をいったん横に置きます。

 

そうやって、

いつもの思考操作をいっさい放棄すれば、

心をカッカさせた炎は、自動的に消えていきます。

 

炎が小さくなって消えていくさまを

じっと見守れるようになるまで、

あきらめないでね。

 

意志があれば、

少しずつでも必ずできるようになるから、

何度でもチャレンジしてね。

 

空のかなたから人間社会を眺めるような視座で、

心を見つめて放っておけるようになったら、

しめたものです。

 

そうやって自らの心を操作できるようになると、

目に映る世界は変わらなくても、

自分の正論を振りかざして、物事や人を非難しなくなると思います。

 

それが、この言葉の真意です。

❤ 私の心が静まるとき、世界もいっしょに静まります。

 

静寂は、いまでは私の宝物です。(*^_^*)

 

プロセスこそが 人生なのだ~!

ここに立ち寄ってくれる人は、きっと、

「自分を成長させたい」とか、

「真理に目覚めたい」という気持ちが旺盛な人だと思います。

 

私がそうなのでよーくわかるんですが、

つい、どうしようもなく焦ってしまうことってありませんか?

 

そんなとき心の中は、

「このままじゃダメだ…」といった否定感や、

「なんか楽しくない…」といった失望感や、

「一体どうすれば悟れるのか…」といった不信感が渦巻いています。

 

それって何とも言えず、苦しいですよね。

たびたびこれじゃ、イヤになっちゃいますよね。

ひたすら励んでいるのになぜ?って疑問に思いますよね。

 

まじめな人ほど、

「自己否定はサイアク」と承知しているのに、

自分のことや、置かれた現状を責めてしまいがち。

 

もし、自分もそうかもしれないな…と思った人は、

その真っただ中で、

「私、今、そんな状態に陥ってるかも…」と気づくことができたら、

その時点で大丈夫なんですよ!

 

ぜひ、こう言って立ち直ってください。

「このプロセスこそが、人生なのだ~!」

と、叫んでおしまい。

 

 

私たちが人間として生まれ、それぞれの人生を経験するのは、

日々の出来事を通して、

身近な人間関係を通して、

愛に目覚め、愛に生きて、愛に還るためです。

 

だから、

みんな純真無垢な赤子として地球にやってくるけれど、

あえて、自我というものを形成して分離感を味わい、

愛以外の感情を少しずつ体験していくんですね。

そう、泣きながら。。。

 

その目的は、

愛じゃないものを身をもって知ることで、

対極にある〝本来の愛〟に目覚めるためなのです。

相対の世界では、これが一番早い方法だから。

 

そうやってふたたび愛に目覚めていく過程には、

至高の喜びがあります。

自分が本当は何者かに目覚める、という感動もあります。

 

だから、

普段はままならないと感じる人生ですが、

そのプロセスにおいて、起きていることは完璧なんです。

 

大事なことは、

自分がその都度「そこに何を観るか?」に尽きると思います。

 

もし、人生にゴールがあるとしたら、、、

それは、死ぬことでもなければ、

イヤなことが起こらなくなることでもありません。

 

人生に起きたことすべてが、

じつは、愛の側面だった…と気づくことなのかもしれません。

 

空気も、感情も、肉体も…すべては愛というイノチの表れだから。

花が咲くように、今、あなたが咲いている・・・💖

 

 

ワタシに任せます!

ちょっとしたことで感情的になって

ムカついたり、あせったり・・・

 

不快な気分になったのは○○のせいと思い、

そう思うのはよくないと反省したり、

また同じことしてる…と失望したり・・・

 

ぐるぐる考えが回って、

どうにもこうにも不快な気分から抜けられない・・・

 

そんな経験はありませんか?

 

まあ、これも人間っぽくてええじゃないかと笑えるなら、

気もラクになるというもの。

しかし、

笑って収めることができない場合は、いい方法がありますよ。

 

最近はこれをよく使っています。 ^^) 

 

つい感情的になって「どうしよう…」と思ったときは、

『ワタシに任せます!』と断言して、

大きく深呼吸してください。

 

イラつくと必ず呼吸は浅くなっているから、

目を閉じて、丹田に気を溜めるようなつもりで、

あえて、ゆったり、息を吐きます。

 

そして、落ち着いてもう一回、

『ワタシに任せます!』と宣言します。

 

かつての私は、

「どうしよう…」と思ったとき、

「自分でなんとかする」しか頭になかったから、

「自分がどうにかする」ことに躍起になってドツボにはまりました。

 

でもそれはひとり芝居だった。

なんと、「自分に任せる」という手があったのです。

 

しかもこれこそが、よき流れを生み出すベストウェイ。

 

「自分に任せる」の自分とは、ハイヤーセルフのこと。

宇宙の叡智とつながっている〝高次のワタシ〟です。

 

もしかしたら、それって特別な存在?と思うかもしれませんが、

ぜーんぜん!

そっちが本来の自分であり、あなた自身なのです。

 

それを念頭に、日常的には、

体のことは、体に聴く。

心のことは、心に聴く。

 

これが「本来の自分に聴く」

つまり、「高次のワタシに任せる」という方法です。

 

もしうまくできなかったら、

自我(思考)がああだこうだと言ってくることを信じて

気を奪われているからだと思います。

 

自我の主張は、しょせんは他人や過去のデータに過ぎません。

かたや、本来の自分は、

今の自分を反映して、今の自分ができることを、

気づきという形で教えてくれます。

 

たとえば私の例だと、

「執着は必要ないよ」とか、

「本当はやってみたいけど、怖いんだよね」とか、

ドキッとすることばかり。

 

ワタシに任せるということは、

そうやって軌道修正して、

大自然=宇宙の流れに乗っていくことなのです。

 

生きていくうえで、

私が「ワタシを信頼できる」こと。

「今に安心してくつろげる」こと。

それ以上の幸せはないかも~と、つくづく感じます。(*^▽^*)

 

令和4年の天のお正月

令和4年の天のお正月が近づいています。

それはもうすぐやってくる立春、2月4日です。

私たちの覚醒を後押しするエネルギーが、

宇宙からより激しく降り注いできますよ。

 

でも、そのエネルギーが現実レベルに表れるときは、

(特に、昨年の冬至を過ぎてからですが)

心の古傷がうずくような不快な体験をしたり、

私全然変わってない…というような落ち込みを味わうので、

「なんかキツイなぁ~」と感じている人も多いかもしれません。

 

今はまだそのまっただ中。。。

私もいろいろありましたよ、というか、

まだしつこく続いております。はい(ーー;)

 

でもね、

「これは、立春までの貴重な大掃除」と承知しているので、

チクッと心に棘がささるたび、

「よっしゃあ!」と前向きに

心に巣くっている恐れの概念を探り当てては捨てる…の繰り返し。

 

概念を捨てるとは、

「私はこう在る」と改めて宣言することと同じだから、

クリアしたあとはぐっと安らぎが深まって、

くつろいで今にいられるようになります。

 

「よっしゃあ!」のときの大事な心構えは、

イヤな感情から逃げないで、自分にやさしく言い聞かせること。

   :

「これは古い概念を捨てるために自分が起こした出来事」

「私はこの体験を許します」

「私は自分がこれまでがんばってきたことをもっと認めます」

「私はこのありのままの自分にもっと愛を注ぎます」

 

すべての心の棘は、

結局は、自分が自分を愛しきれていないことで突き刺さるのだから。

 

こんな調子で立春までは、

心の中が騒々しくてなかなか落ち着けそうにありませんが、

実はちょっとワクワクも・・・

 

というのは、

天のお正月を過ぎると、覚醒の流れが本格的になって、

その人の愛が深まった分だけ、

それを映し出すような人生が始まるからです。

 

私たちの純粋でやさしい気持ちが、

そのまま現実生活に反映される出来事にたくさん出会うでしょう。

楽しみですネ。!(*^▽^*)!

 

だから今は、心をしっかりウォッチして、

「よっしゃあ!」の掛け声とともに

イヤな体験を、知恵の体験にかえて、

過去の自分を超えていきましょう!

 

心穏やかに、よいお年を!

このブログ、すっかり月一ペースですね。

まるで安否確認の様相を呈していますが…(笑)

 

ま、元気そうだな…と思っていただければ幸いです。

 

このところ、敬愛する坂村真民という仏教詩人が残した

素晴らしいメッセージにはまって、

これを実践することにエネルギーを注いでいました。

 

その言葉は、『ふかきをきわめ あさきにあそべ』

 

う~ん、しびれるぅ "(-""-)"

 

「ふかき」とは何か?

ひと言でいえば、宇宙の真理。それを自分なりに極めよ。

「あさき」とは何か?

三次元の人生。それを自分なりに工夫して楽しめ。

 

私はそんなふうに解釈しました。

すると、

意識を向ける優先順位が自然について、

世俗的な優劣や勝敗が気にならなくなったんです。

 

それで今、一番よかったと感じていることは、

「物事を、前より俯瞰できるようになった」こと。

 

それまでは、

「物事を、主観ではなく、客観できるようになる」ことに一生懸命でした。

 

若いときは、頭も心も主観一色だったから、

「あの人、気が知れない!」とか「私は間違ってない!」と感情的になって、

年がら年中、葛藤とストレス満載でした。(ーー;)

 

それに疲れ、ホトホト嫌気も差して、

物事を冷静かつ客観的に見られるようになろうと思ったんですね。

そうすれば、きっと正しい判断ができるに違いないって。

 

でも、その発想は、

あらゆる物事には「正しい、正しくない」があるという前提です。

 

意識が目覚めて、

「正否」で判断するのは三次元世界の特徴、とわかったので、

少なくとも、人が押し付ける正否には、もう振り回されない。

私は私、人は人。という見方をするようになりました。

 

でもでも、もっと高い次元があったんですよ。

 

それは「三次元世界を俯瞰する目を持つ」こと。

 

自分を含むすべての物事を俯瞰して、広い目でとらえるんです。

すると、

まわりの人の気持ちが手に取るようにわかったり、

なぜそうなったのかに気づけるから、すごい!

 

 

あなたは、自分の人生ドラマの主人公ですね。

その主人公の主観を置いて、

他の人の目にはどう映っているのだろうと想像してみる。

人生ドラマが展開する同じ土俵ではあるけれど、

主人公からちょっと離れて眺めてみる、というのが客観。

 

俯瞰は、それとは違います。

 

ドラマを演じている土俵からいったん外れます。

上空に離れて、宇宙という視点から

人間ドラマを眺めたら何がわかるだろうか、

という発想をするんです。

 

もしかしたら・・・こんな気持ちになるかもしれません。

 

 みんな違って、みんないい。

 それぞれが、それぞれの人生の主人公。

 だから、みんな、自分が体験したいことを、

 気のすむまでそこで体験したらいいんだよ。

 

私はそう自分に言い聞かせました。

 

来年も目指します!

『ふかきをきわめ あさきにあそべ』

 

来年もよろしくお願いします。(*^▽^*)/

💖 どうぞ、よいお年を 💖

自分を一切責めないと、どうなる?

「~しなければいけないのに、できない」とか、

「~したほうがいいとわかっているけど、気が乗らない」とか…

 

そんな自分を見るにつけ、

「私ってダメだなぁ」と責めてしまうこと、ありませんか?

もしかすると日に何回もあるかもしれませんね。

 

じつは私もそうなんです。

これ、幼いときに刷り込まれた思考回路の余韻ですワ。(ーー;)

 

今は、そのことに気づくや否や、

「やりたくないという本音にしたがった私はエライ!」

と、逆にほめるようにしています。へへへ

 

するとたちまち、

顔はほころび、心は穏やかになります。(^^♪

 

みなさん自分に、ほんと厳しすぎると思います。

「自分に甘くしてはいけない」

「このままじゃ幸せになれない」って。

 

私もそう思って生きてきたひとりですが、

実際は正反対だとわかったんです。

 

「自分の本音を受け入れなかったら、絶対幸せにはなれません!」

「ありのままの自分が今感じられる幸せこそが大事!」

もう断言しちゃう。(笑)

 

それはつまり、

どのくらい〝自己受容〟できるかということだから。

 

私たちは、優秀な誰かになるために生まれたのではありません。

ありのままの自分を生きるために生まれたのに、

それを教えてもらえるどころか、

優秀な人材になれと刷り込まれて、

それが幸せになる道だと誘導されてきたんですね。

 

私はあるときから、徹底的に自分に甘く、優しくすることにしました。

気持ちが沈むと「わかった、もういいよ」って。

 

ダメ出ししないで、

ジャッジしないで、

そのままで許されることの喜びを、自分で自分に与えたんです。

 

そうしたら何が起こったと思いますか?

 

ストレスが激減して、ご機嫌になりました。

さらに、他の人にも同じように

優しい気持ちを抱けるようになりました。

 

その結果、

家族関係をはじめ、人間関係がずっと円滑になったんです。

 

他人に厳しい人や、すぐ他人を非難したがる人は、

普段、自分に対してとても厳しくしているのでしょう。

 

人は無意識に、自分にしていることを人にもする習性があるから。

 

 

『一切唯心造』(いっさいゆいしんぞう)という禅語があります。

全てのことがらはその人の心が造り出す、という意味です。

 

幸せな人生も、不幸せな人生も、

自分を好きになることも、嫌いになることも、

すべては自分次第。

 

やりたくないことをやらないことも、

いやいやするのも、楽しめる工夫をするのも、

本人の自由なのです。

 

自分にダメだしするパワーを、正反対のことに使いませんか?

 

どんな自分を見つけても、

ありのままを受容して、

今体験していることを、それが苦痛でも歓喜でも、

一切合切、エンジョイするパワーに使いましょう!

 

誕生日によせて

今日は、私の67回目の誕生日であります。

わあ、もうそんなに生きてきたんだぁ。。。って驚いちゃう(笑)

 

特別何も感じないけど、

(若い時は祝ってほしい、かまってほしいって切望したものですが…)

今回の誕生日は、

新たなサイクル(周波数)に移ったことを実感しています。

 

その意味では、とってもうれしいのだ~! (*^▽^*)

 

そのサイクルとは、『絶対幸福』を感じる周波数帯。

絶対幸福とは、無条件の幸せです。

 

三次元世界に暮らしながらも、

物理的なものや財産、

社会的な地位や名声、

ほかの人の評価や承認といった、

一般に幸せの条件として挙げられるようなものが

たとえなくても、幸せな状態というのでしょうか。

 

今ここに生かされていること、

この自分でこうしてここに在ること、

それだけで幸せなんです。

 

人より、何かが欠けていても、

自分の存在価値はいっさい損なわれないことや、

 

人より、多くを所持していなくても、

豊かさや喜びは常に内から湧いてくることや、

 

人生目標を掲げて、

ひたすらそこを目指さなくてもいいんだということや、

 

本来の自分という存在は、永遠に死なないことが、

なぜかわかっちゃったんです。

 

今日胸に突き上げるは、そのことに対する感謝ばかり。。。

 

ここまで導いてくれた、すべての存在に深謝します。

 

私と、地球で出会ってくれた魂の仲間たち、

中でも、悪役を担ってたくさん気づきをもたらしてくれたお約束の魂と、

ここぞというときに助けてくれたありがたい魂の仲間たちに、乾杯!

 

お蔭さまで、いろいろ思い出しましたよ。

みんな、みんな、本当にありがとうね!!

 

まさに、時間は、時間を超えるためにあるのかもしれません。

 

残された地球ライフ、笑って生きていくからねー。

この身を何に使うかは天にお任せで、

「好きに使って!」という感じ。(笑)

 

今日お伝えした絶対幸福は、

誰の中にも、最初からあるものです。

それこそが、

イノチの本質であり、愛そのものなんです。

 

だからね、

こわがらないで愛に目覚めましょう!

 

そのタイミングを決めるのは、あなたの覚悟。

 

私たちは、愛に溶け落ちたとき、

〝ひとつ〟だと感じます。

 

そのひとつからきて、またひとつへと還っていく。

今は、ほんの雨宿り中・・・(^^♪