ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

あなたは大丈夫!

どうしてあんなに人から認められたいと思っていたんだろう…?

どうしてこのままの自分じゃダメだと焦っていたんだろう…?

 

若い時代を振り返ると、

そんな気持ちを克服するために生きていたような気がします。

 

そのために目標を掲げ、

今より幸せな未来にしようと躍起になって、

不安を起爆剤にして駆けずり回っていました。

 

当時の私は、

なんにでもいい悪いを付けて一喜一憂を繰り返し、

人の目に映る自分、

つまり人の評価で、自分の価値を図っていたんですね。

 

これでは、心が擦り切れていくのは当然です。

 

どんなにお肌がピチピチでも、

あの頃に戻りたいなんてぜーんぜん思いません。(ーー;)

だって、

本当に苦しかったから。

何を手に入れても、幸せにたどり着けなかったからです。

 

人の期待に応えようと必死に振舞う自分を、

「まるでピエロだ」って、心の中であざ笑っていたんですよ。

悲しかったぁ…

 

そのとき見ていた世界がコインの「表」だとしたら、

気づきを得るたびにコインが回転して、

少しずつ「裏」にあるものを感じ取れるようになりました。

 

裏といっても、表裏というのは二元の世界の表現で、

本当は、裏も表もありません。

 

色即是空、空即是色・・・という、

一元の世界を実感したという方がしっくりきます。

 

私がそれまで自分と思っていたものは、

〝本来のワタシ〟ではなかった…という驚愕の気づき!

 

私は、霊的体験をしている人間ではなくて、

霊的存在であるワタシが人間を体験している…とわかって、

一気に世界が広がりました。

 

もっというと、自分が広がって宇宙になったり、

宇宙がワタシ…という感覚です。

 

今は、一日にわずかでも、そこに還るようにしています。

そこに還ると、もう「ありがとう」しか出てきません。

 

ありがとう、私。

ありがとう、ワタシ。

ありがとう、透明なイノチ。

 

これを読んでくれているあなたに、ありがとう!

私とつながっているすべての存在に、ありがとう!

 

あなたが、今どんな苦しみを抱えているとしても、

大丈夫。

あなたは、人間を体験するためにここにいるのだから。

 

同じところからきて同じところへ帰っていく、

あなたの人生を、心から祝福します。💛

 

私の信条

「私の信条」というと、表現が固いかな?

 

山越え、谷越え、

過去と未来を超越して生き延びてきてね、(笑)

今大事にしていることが3つあります。

 

それは、

1「抗わない」

2「ジャッジしない」

3「執着しない」

 

1の「抗わない」の意味は、

人生に起きたことに抵抗しない。

人生の流れに従う。

身に降りかかったことにジタバタしない。

 

それを実感したのは、

「万物は移り変わることで存在している」ということを、

頭ではなく、全体意識で理解したときでした。

 

もっというと、

起きることはぜーんぶ神様(宇宙・イノチ)からの贈り物なんだ…ってね。

 

だから、

ああだこうだと文句を言う前に、

素直に起きたことを受け入れよう、と思ったんです。

 

だってね、

抗った瞬間に苦しみがはじまって、

抵抗しているあいだは前に進めない、

ということが痛いほど身に染みたから。

 

これに続くのが・・・2「ジャッジしない」

 

起きたことを「いい悪い」で判断しない、ということ。

 

もっというと、

「私の人生にはいい事しか起こらない」という信念で生きています!

 

嫌な体験は神様、

つまりは、高次元の自分からのメッセージと信じて疑わないから、

「何に気づけばいい?」と必死で自分の中を検証します。

すると必ず、

幸せが膨らむ方向で、何かピンとくるんですね。

 

そして、

「わかってよかったぁ。やっぱりいい事しか起こってない」と思います。

 

3「執着しない」は、

欲望に振り回されない、ということ。

 

特に嬉しいことがあるとたちまち有頂天になって、

「もっと!」とか「失いたくない」という気持ちになります。

 

これを「わかったよ、わかった」と笑い飛ばして、

シカとします。(ーー;)

 

すると、心がサッと今に戻って、

今の自分を見失わなくてすむんです。

そして、

今を生きられる、今にくつろげるから。

 

生きている限り欲望は消えないものだけど、

それは人生のスパイスということで、

メインディッシュは、愛と感謝💛がいいですよね!

 

だって、それ大好物だもん!!(*^▽^*)

 

 

さてさて、ラジオ出演のお知らせです。

小梅ちゃんとの愉快なおしゃべりが最終回となりました。

 

9月18日(土)の16時から17時まで、

FMレキオ『田中小梅の開運話』にトークバディとして出演します。 

ぜひお楽しみくださいね!

 

ツイキャスのバナー貼っておきます。(前後半)

twitcasting.tv

twitcasting.tv

目の前にあるものの大切さを思う

1か月振りです。

この間にオリンピックがありましたね。

私は人生最後の地元開催、楽しみましたよ。

 

しかしその陰で、

コロナが蔓延し、災害や紛争が起こり、

最近は、世の中の悲鳴や不安、バタバタ・ザワザワが伝わってきます。

 

だからこそ、一層強く思います。

「自分の現実世界で、しっかり幸せでいるぞ!」って。

 

自分の現実を見据えることが、とても大事だと感じるんです。

 

私たちはひとりひとり、

自分の観念で創り上げたそれぞれの現実世界に暮らしていますが、

それを創り上げる過程で、

たとえば、今日のニュースから何を取り込むか、

人に言われたことをどのくらい取り込むか・・・を無意識に選んでいます。

 

でもそのことに、あまりにも無頓着だと、

知らないうちに自分の現実に

ニュースの重たいエネルギーを引きずり込んだり、

人の不平不満に心を乱されていることに気がつきません。

 

よくあるのは、

「あの気の毒な人たちに自分は何もできない」と失望したり、

「自分だけ幸せになっていいんだろうか…」と感じること。

そのせいで、

なんとなく気分が沈んだり、

もの悲しさや、無力感を覚えたり・・・そんな経験ありませんか?

 

それは、一見やさしさのように映るけれど、

ほんとは、意味のないことです。

 

気分が沈んだり、もの悲しさや無力感を覚えることに

大切なエネルギーを費やしてしまっているから。 

 

それって、

エネルギーダダ洩れで、じつに「もったいない状態」なんです。

 

気の毒と感じたのは、

単に今の自分と比較して、

自分の観念(思い込み)が生み出した感情だからです。

 

なぜなら、ニュースを通して垣間見た人たちが、

その瞬間、どんな喜びや悲しみを分かち合っているか、

実際は何を感じて、どんな角度から幸不幸を見ているかなんて、

わかりませんよね。

 

人のことはどうでもいいとか、

自分さえよければいいといっているのではありません。

 

私は、自分にできることは、常にひとつだと思っています。

今ここに、こうして存在できることに感謝して、

今目の前にいる人を愛すること。

その人にしてあげられることを、心を込めてすることだけです。

 

そんな気持ちでいるとき、

小さな幸せの波紋が、自分の現実から宇宙全般に拡がる……

そう信じています。

 

 

さて、今日もラジオのお知らせです。

 

8月21日(土)の16時から17時まで、

FMレキオ『田中小梅の開運話』にトークバディとして出演します。 

あと2回。この日と9月18日の最終回に、小梅ちゃんと繰り広げる本音トーク

どうぞお楽しみください!

 ツイキャスのバナー貼っておきます。

twitcasting.tv

twitcasting.tv

努力するの、や~めた!

夏休みとか、年の初めとかに、

あなたは〝努力目標〟を掲げたほうですか?

 

私は必ず掲げて、「がんばろう!」と気張ったもんです。

そんな遠い日々のことを懐かしく思い出しました。

 

今はどうか…というと、

「努力しないことが目標です!」 (^^♪ 

なんと、180度変わっちゃいました~。(笑)

 

とは言っても、

人生には〝努力する時代〟があっていいと思いますよ。

成功するぞ!

なりたい自分になるぞ! って励んで、

やりがいを感じ、

挫折を味わい、

立ち直ることを学ぶ時代。

 

人はそういう体験を通して

人の痛みを理解するようになるからです。

 

私はそんな体験をなめ尽くし、

何のために努力するのか?…と自問自答をくり返して、

やっとわかったことがあります。

 

私たちは、今すでに手に入っているものには、

努力する必要は感じない。

今自分にないものを手に入れたくて努力するのだと。

 

つまり、

今自分に必要と感じる「不足しているもの」や「ないもの」があって、

それがあればきっと、もっと、幸せになれるはず、と思うわけです。

 

これを〝未来志向〟と言いますが、

未来志向は「夢に向かってがんばろう!」的なイメージがあるから、

すばらしいことだ、いいことだ、とされています。

現に、私たちは そのように教育されてきました。

 

ところが、意識が覚醒するにつれて、

「自分が幸せに在るために必要なものは、すでに持っている」

「今ここに、必要なものはすべてある」

ということに気づき始めるんですね。

 

そして、小我(エゴ)の欲求に振り回されて生きるより、

大我(本来)の自分で生きることを選択するようになります。

 

なぜなら、今ここにあるものに

満ち足りた気持ちと感謝の心を抱けるかどうかが、

安らいで幸せに生きられるかどうかを決定することが、

身に染みてわかるようになるからです。

 

*ここでいう努力は、苦しくてつらいがんばりのこと。

 ワクワクするがんばりや意気揚々と励むことは、楽しみであって、

 努力には当てはまらない前提です。

 

私は長年「禅」の世界に親しんできましたが、

禅語の言わんとすることが、

この頃ストンと腑に落ちるようになりました。

 

たとえば『無一物中無尽蔵』

 解説としては、人間は無一物が本来の姿なのだから、

 それに徹したとき、逆に一切が無限に出現する自在の境地が開ける。

 何もとらわれがなくなったとき、すべてがありのままに輝く

 和合の世界であったことに気づける。

 

となりますが…

言葉で理解しようとするとむずかしいのは、

言葉を超えた世界を表しているからです。

 

「努力が足りない」とずっと思って生きてきた私は、

一連の禅語が腑に落ちたとき、

「なーんだ、そういうことか」と笑うしかなく、

笑いながら〝努力家の自分〟を返上しました。

 

もし、あなたの中にも〝けな気な努力家の自分〟がいたら、

「よくがんばった、もう休んでいいよ」と言って解放してあげて。

そして、

片ときも離れずにいる〝本来の自分〟に意識を合わせて、

「本来の自分にサインイン」して生きていきましょう!

 

 

さて、ラジオ出演のお知らせです。

 

7月17日(土)の16時から17時まで、

FMレキオ『田中小梅の開運話』にトークバディとして出演します。 

私は小梅ちゃんから毎月第3土曜に呼んでもらっていたんですが、

この素敵な番組が、残念なことに、9月いっぱいで終了するそうです。

 

小梅ちゃんとスタジオにて。ツイキャスでお楽しみくださいね。

  

twitcasting.tv

twitcasting.tv

余計なお世話って?

私、いつのまにか、おせっかいでなくなったかも…

人にも、家族にも。

 

これにはいろいろ理由があります。

 
おせっかいって、本人は親切のつもりなんだけど、
相手にとっては、余計なお世話!という代物。
 
私は長女ということもあるのかもしれませんが、
子供のころから「面倒見がいい」と言われて、
人のことを「かまう」のがけっこう好きでした。
 
その分、いつも周りの人のことを気にかけていたし、
自分から声をかけてあれこれ世話を焼こうとしたんです。
結果、仕切り屋と言われるようになりました。
 
でもね、
今になって当時の自分を振り返ると、
いじらしい深層心理が浮き彫りになって見えるんですよ。
 
ずばり、
私はほめられたかったんです。
役に立つ人、と認めてもらいたかったんですよ。
 
人からほめられたり、感謝されることで、
私は捨てたもんじゃないと思いたかったのは、
人の評価で自分の価値をはかっていたからです。
 
 
こんな調子で、
自我のささやきに翻弄される体験を何十年も続けて、
ようやく、あれほどうるさかった自我が、
人生の脇役に退きました。
 
代わって現れた主人公は、本来のワタシ。
 
自我は今もしょっちゅう顔を出すけど、
待って!ってバシッと言えるし、
シカトもできるようにもなりました。やれやれ
 
本来のワタシは、全然おせっかいじゃありません。
 
だって、人にはそのときに味わいたい体験があることも、
実はそれを本人が選んでいることも知っているからです。
 
かといって、私自身、決して冷淡になったわけじゃありませんよ。
むしろ、逆かな。
 
そうっと陰で見守ったり、
心の中で応援できるようになったから。
 
そして、
相手が必要としたそのときには、助けを惜しみません。
 
だって、私たち、本当はひとつだから。
 
というわけで、 
 
おせっかいをやめたら、
自分の時間がぐっと増えてびっくり。 
 
それまでいかに不要なことに
エネルギーを費やしていたのかとあきれるくらい…(笑)
 
そして、つくづく思います。
自分で自分の心を十分に満たすことができてはじめて、
ほかの人に注ぐ愛が、ホンモノになるんですね。(^_^)/

そろそろ目を覚まそう!

自分の内側をじ~っと見つめていたら、

なんと、自我が見つめ返してきた。

ギョ (+o+)

 

目を反らさず、しつこく見つめていたら、

自我がポロリと本音をつぶやいた。

エッ (-_-)

 

 こわい、こわい・・・

  家族を失うのがこわい、

  お金がなくなるのがこわい、

  

 どうしよう、どうしよう・・・

  健康を損なったら、

  仕事がなくなったら、

 今あるものをなくしたら、自分が消えちゃうョ~

 

そっか。。。 

自我は「喪失を恐れる」のが役目。

だから自我の言いなりになると、苦しみから逃れられなくなるわけだ。

 

そんなことをつらつら思いながら、 

実は、

まったく別のことを感じていたんです。

 

「喪失を恐れる」という感覚の持ち主って、

本当はいないのかもしれないナ。

恐れは、自我が生み出した勘違いだし、

自我そのものが幻想だもん……って。

 

もしも私が、自分=「体」と思っていたら、

病気や老いを何よりも恐れるでしょう。

 

もしも私が、自分の価値は「人が決める」と思っていたら、

人の言動や評価を心底おびえるでしょう。

 

でもね、

私の本質、つまり ‶本来のワタシ‶ は、

喪失するものなど、はなから何も持っていない。

 

本来のワタシを生きるとは、

自我が主役するホラー映画のような、この世の夢から、

目覚めて全体意識で生きるということなんです。

 

たとえばあなたが、

眠っているあいだに恐ろしい夢を見たとします。

急に目が覚めて、「なんだ夢だったのか…」と気づいたとたん、

ホッとして、夢の中身がもうこわくなくなるでしょう?

 

それと同じです。

 

私たちがこの世に誕生したとき、自分が何者かを忘れたのは、

正体を「思い出す」プロセスを、思いきり楽しむためでした。

それを体験することが魂の目的だからです。

 

でもって、何回も何回も生まれ変わって

しこたまプロセスを味わって、

もういいかな・・・そろそろ目を覚まそうかな・・・

と計画した魂は、ある日突然目覚めます。

 

そのタイミングは、神のみぞ知る……なんですが、

そのとき自分の正体を思い出して、

自我=自分ではないことがわかると、

 

体やお金へのこだわりが薄れていくと同時に、

この世の問題(悩み)も薄れていきます。

 

そして、

本来の質である「愛」が、その分増していき、

自分にも、人にも、すべてに愛があふれ出すんですね。

 

これが、本来の自分を生きる人生のはじまりです。

 

もしかしたら、私たちひとりひとりが、

今こんなことを問いかけられているのかもしれません。

 

眠ったまま、まだこわい夢を見続けますか?

それとも、

さっさと目覚めて、安心して余生を楽しみますか? 

 

 

 

さて、今月もラジオ出演のお知らせです。

6月19日(土)の16時から17時まで、

FMレキオ『田中小梅の開運話』にトークバディとして出演します。 

バナーを貼りますので、ツイキャスでお楽しみください。 

前半 

https://imagegw03.twitcasting.tv/image3/image.twitcasting.tv/image78_1/6e/6e/29076e6e-1-s.jpg

後半

https://imagegw03.twitcasting.tv/image3/image.twitcasting.tv/image78_1/dd/62/290762dd-1-s.jpg

好きなことをしたらいい。

スーパームーンで月光浴を楽しんだ翌日、

沖縄の南部は、梅雨の晴れ間が広がりました。

 

私は「あぁ、海に浮かびたい!」という衝動に駆られて、

水着を着込んでビーサンで外に飛び出しました。

10分も歩けば、ライフセーバーが見守るビーチに着くはず…

 

…が、たどり着いてショック!

 

ロープが張られて『遊泳禁止』の看板が。

沖縄に緊急事態宣言が出てから、こうなっていたんですね。

 

知らなかった… それじゃ…

と、帰路にある岩場をソロソロ歩いて、

誰もいない海に出て・・・ちゃぽん。

 

私は泳ぎたいんじゃなくて、ただ浮いていたかったんです。

そう、胎児のように!?

 

めちゃくちゃ気持ちよかったぁ~~

心身のドロドロが溶けだして浄化されたぁ~~

 

仰向けになると、

雲が無数の表情を見せて流れていきました。

海をのぞき込むと、

岩の狭間でブルーの小魚が群れて遊んでいました。

 

時間が止まったかのような空間で、

私はクスクス笑いました。

 

「好きなときに、好きなことを、好きなだけしたい」

そんなことを願って沖縄に移って、2年半になるかなぁ。

 

好きなことといっても、ごく些細なことなんですよ。

 

でも、ふと「こうしたいな」と思いつく好きなことって、

「いかにも無駄」とか「今じゃなくてもいっか」

と思えることがたいがいだから・・・

 

仕事に追われていたころは、

簡単に叶えられそうで、ほとんど叶えられなくて、

(これ、完全に心の余裕のなさが原因デス (-_-;))

 

好きなことをあきらめるたびに、ストレスを溜めていって、

私は知らないうちに怒りっぽくなっていたようです。

 

そのことを旦那さんから指摘されて、

もう「ガ~~~ン!!」でした。😢

 

些細な好きを叶えるには、些細な勇気があればいい。

些細な勇気は、自分への愛があれば簡単に出ます。

 

頭で考える譲歩や思いやりじゃなくて、

些細なリクエストに喜んで応える無条件の愛を、

私が私に注ごう!

私が私に注がなくってどうする!

 

と、強く思って沖縄に来ました。

 

2年くらいかかったけど、やっとできるようになったかナ。(笑)

 

あの日は小一時間の海遊びだったけど、

私は笑い、全身全霊で幸せを感じました。

 

これでいい。

これがいいのだ!