ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

イノチが 私を生きている。

今年もあと1か月です。

いやはや、激動の年になりましたねぇ。

 

目に見える世界も、

それにともなう心の世界も、

シフトチェンジを余儀なくされたという人、たくさんいると思います。

 

この変化をどう使うか、それがひとりひとりに問われています。

これはまだまだ来年も続きそう。。。

 

 

私が今年、とても胸に響いて、

ずっと身近に感じている言葉があります。

 

それは、「イノチが私を生きている」です。

 

ふだんよく使う表現として、

「自分には命がある」「私が命を生きている」というのがありますね。

この命や生命は、「寿命」に置き換えることができます。

 

それと区別するために、あえて「イノチ」と書きました。

 

私たちは、寿命という、

限られた命を与えられているだけの存在ではありません。

 今の人生が終わっても、滅しないワタシ、

永遠のワタシが、肉体をもった私を通してさまざまな感情を味わっているのです。

 

そのワタシの源、根源的存在を〝イノチ〟と呼びました。

 

イノチが、地球にあるすべてのものを生かしていることに

何の疑いも抱かない人は多いと思います。

それでも、

いざ自分のことになると、「私が」「私の」「私のもの」という意識が先だって、

つい「私は自分で生きてる~」と思いがち。

 

私もそうでした。

だから、「自分の人生は自分でなんとかしなくちゃ」ってあせっていたんです。

 

私たちは、自分の力で生きているわけでもなければ、

(はい、心臓ひとつ自由に動かせませんから。)

自分が優秀だから、何かひらめくわけでもありません。

(はい、人間の脳は受信機にすぎませんので。)

 

それがすっかり変わったんです。

昨今は「イノチの存在」をひときわ強く感じるようになりました。

 

たとえば・・・

目を閉じて自分のことを感じようとすると、

肉体から意識がはみ出して、実物大より大きく感じるとか、

瞑想していると、体の輪郭が宇宙に溶けてなくなっちゃうように感じることも。

 

そのたびに、

「私が命を生きてるんじゃない。イノチが私を生きているんだ…」と実感します。

 

で、イノチがいろんな体験をしたくてこの肉体を使いたいなら、

「どうぞ~~!!」みたいな気持ちになったんですね。

 

その結果、ますます能天気になりました。(>_<)

 

どんなにイヤなことに出くわしても、

「あら、イノチはこんな感情を味わいたかったのー!?」と、

まるで人事のように客観的に自分を見て、おしまい。

 

イノチにとっては、いい体験(感情)も悪い体験(感情)もありませんから。

 

この視点はラクですよ。

それまでは「どうしてこんなことになったのか」とか、

「私の何がいけなかったのか」などとクヨクヨ考えたものですが、

本当にそんな必要はありませんよー!

 

源のイノチにゆだねて、

残りの人生物語を気楽に楽しみましょう。

あなたの人生物語を用意したのは、

イノチそのものである、本来のワタシ(本来のあなた)なのだから!

(*^^)v