だれもが、あっさりできるようになること
最近、(この歳でようやく…(^▽^;))
できるようになったことがあります。
それは、『身に降りかかったことをすべて受け入れる』こと。
生きていれば、ままならないことはしょっちゅうありますが、
「なんで!?」と思うことに出くわしても、
「こんなのいやだ」「だれのせいだ」といった抵抗感を
もはや抱かないようになりました。
これが、人生を激変させるくらい大きな出来事だったんですよ。
もちろん生身ですから、
瞬間的にムカついたり、不安になることは止められないけど、
それでもなんとか、数十秒後には気持ちを切り替えて、
「ま、いっか」とか「先入観を横に置いて…」と、
力まないで現状を受け入れられるようになったんですね。
別の表現をすると、
『その都度、執着を手放す要領を身につけた』わけです。
それを支えているのが、この発想。
人生に起きたことは、気づきを促そうと自分が起こしたことなんだ!
これね、最初は頭でいくら考えても納得できませんでした。
だって、いやな体験を自分が望むはずないって思ったから。
でも、そう考えるのは自我だけだった。(>_<)
頭じゃなくて、内奥(魂)に尋ねたら、
言葉を超えてスルリと腑に落ちました。
それぞれが「目覚める=気づいて成長する」ための出来事を、
自分の人生に山のように用意して、
自分の正体を思い出す物語を体験中なんだ…って。
確かに、魂からみれば、
「いい悪い」「ないほうがよかった」ことは存在しないから、
無駄なことは何ひとつ起きていないと言えるし、
すべては目覚めるための計画のうち、と考えられますよね。
いい悪いを決めつけて物事に執着し、
現状に抗って、受け入れることを拒もうとするのは、
自我なんです。
自我は、
三次元を生きるためにしつらえた特性スーツのようなもので、
愛すべき自分の一部だけど、ぜんぜん主役じゃない!
それを勘違いして主役にまつり立て、
知らないうちに、自我の言いなりになって生きてきた…
心に苦しみや痛みがわくのは、自我を主役にしていたせいだ…
と気づいて、もう、ガ~~~ン (>_<)でした。
もし今、「私もそうかもしれない」と思った人は、
早々に、主役の座を、自我から真我に明け渡しましょう。
真我=魂こそが、本来のあなただから!
魂は、あなたが赤ちゃんのころそうだったように、
純粋無垢な存在。
そんな意識に目覚めて人生を生きることが、
真にやりたいことなんだから。
さあ、肉体をまとっているうちに体験できる感情を、
人生を彩ってくれる自我がせっせと作り出す感情を、
何もジャッジせず、もっと楽しみましょう!
もし、不安や怒りがわいたら、
「どこまで、かみしめる?」と遊んじゃうつもりで味わえばいい。
もし、喜びやときめきがわいたら、
「ステキ!すばらしい!!」と素直にウハウハして味わえばいい。
そのうち、きっと、
「私はこのままの自分でいいんだ…」と実感するでしょう。
そして、
「私はもともと幸せな存在だったんだ…」と気づくでしょう。
自我と真我が統合されて、
今ここにある人生を生きはじめるとき、
身に降りかかることをあっさり受け入れられるようになりますよ。