そろそろ目を覚まそう!
自分の内側をじ~っと見つめていたら、
なんと、自我が見つめ返してきた。
ギョ (+o+)
目を反らさず、しつこく見つめていたら、
自我がポロリと本音をつぶやいた。
エッ (-_-)
こわい、こわい・・・
家族を失うのがこわい、
お金がなくなるのがこわい、
どうしよう、どうしよう・・・
健康を損なったら、
仕事がなくなったら、
今あるものをなくしたら、自分が消えちゃうョ~
そっか。。。
自我は「喪失を恐れる」のが役目。
だから自我の言いなりになると、苦しみから逃れられなくなるわけだ。
そんなことをつらつら思いながら、
実は、
まったく別のことを感じていたんです。
「喪失を恐れる」という感覚の持ち主って、
本当はいないのかもしれないナ。
恐れは、自我が生み出した勘違いだし、
自我そのものが幻想だもん……って。
もしも私が、自分=「体」と思っていたら、
病気や老いを何よりも恐れるでしょう。
もしも私が、自分の価値は「人が決める」と思っていたら、
人の言動や評価を心底おびえるでしょう。
でもね、
私の本質、つまり ‶本来のワタシ‶ は、
喪失するものなど、はなから何も持っていない。
本来のワタシを生きるとは、
自我が主役するホラー映画のような、この世の夢から、
目覚めて全体意識で生きるということなんです。
たとえばあなたが、
眠っているあいだに恐ろしい夢を見たとします。
急に目が覚めて、「なんだ夢だったのか…」と気づいたとたん、
ホッとして、夢の中身がもうこわくなくなるでしょう?
それと同じです。
私たちがこの世に誕生したとき、自分が何者かを忘れたのは、
正体を「思い出す」プロセスを、思いきり楽しむためでした。
それを体験することが魂の目的だからです。
でもって、何回も何回も生まれ変わって
しこたまプロセスを味わって、
もういいかな・・・そろそろ目を覚まそうかな・・・
と計画した魂は、ある日突然目覚めます。
そのタイミングは、神のみぞ知る……なんですが、
そのとき自分の正体を思い出して、
自我=自分ではないことがわかると、
体やお金へのこだわりが薄れていくと同時に、
この世の問題(悩み)も薄れていきます。
そして、
本来の質である「愛」が、その分増していき、
自分にも、人にも、すべてに愛があふれ出すんですね。
これが、本来の自分を生きる人生のはじまりです。
もしかしたら、私たちひとりひとりが、
今こんなことを問いかけられているのかもしれません。
眠ったまま、まだこわい夢を見続けますか?
それとも、
さっさと目覚めて、安心して余生を楽しみますか?
さて、今月もラジオ出演のお知らせです。
6月19日(土)の16時から17時まで、
FMレキオ『田中小梅の開運話』にトークバディとして出演します。
バナーを貼りますので、ツイキャスでお楽しみください。
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