優しさって、どこにあるの?
先日出会った女性、明るくてエネルギッシュという印象でしたが、
キラキラした瞳の奥に、
憂いというか、悲しみが、なんとなく漂っているように感じました。
彼女がふと漏らした言葉は、
「私、本当に弱いんです。人にやさしくしようと思ってもできないくらい弱い」
私は思わず目を見張りました。
発言におどろいたんじゃなくて、彼女の素直さに胸を打たれて…
「そのことで、ある人に言われたんです。
やさしいって『優しい』と書くじゃないですか。『優れてる』って。
だから優れてなくてもいい。やさしくできなくていいんだよって」
と語って、彼女はにっこり笑いました。
そのとき、ふと思ったんです。
「うーん、その言葉、なぐさめにはなっても、
自分の価値を低いところに置いてしまうのでは・・・」と。
あのときは伝えられなかったこと、
こんな見方もあるよってことを、ここに書きますね。
優しいという字を分解すると『憂いによりそう人』になるでしょ。
人の憂いによりそえるのは、
人はみんな弱いことを知っている人だけです。
だから、
あなたはそのままで何も欠けてないし、
すでにやさしい存在なんですよ。
どうしてもっと人にやさしくできないの…なんて自分を責めないで。
自分に愛を注いで、注いで、心を愛で満タンにすれば、
愛は、自然に心からあふれ出すようになっているから。
それが本当のやさしさだと思う。
これまであんなに耐えてきた自分を、もっと、うーんと、認めてほしい。
愛には、自分用も他人用もないから。
また、人には、優れてるも劣ってるもないから。
みんなと等しく、無限の愛を秘めたあなたが、
その愛を解放したくてうずうずしているのを、私は感じました。
と、ここまで書いたら、
ついでにもうひとつ、伝えたくなっちゃった。(*'▽')
「こんな私じゃなかったら・・・」と思うのは、
今日からやめましょう!
じつは私も、さんざんそう思った経験があるんです。
でも、自己否定から生まれた気持ちは、
「仕方ないからがんばる」も、「あの人はいいなぁ」も、
全部ゆがんでいた気がする…
もしかしたら、傷口を広げただけだったのかもしれません。
だから、あなたに伝えたい。
「こんな自分だからいいんだよ!」
「こんな自分にこそ、価値があるんだよ!」って。
人生に起きたことに、無駄なことや、いらない体験は、
ひとつもありません。
全部、宇宙の愛なんです。
宇宙の愛は、いつも人を介して私たちに注がれます。
そこには、いい人もイヤな人もなく、
ただ、”気づき”という贈り物があるだけ。
同じように、
いい自分もイヤな自分もなく、
ただ、愛すべき、いとしい自分がいるだけなんです。
愛の基本は「許し」といってもいいでしょう。
自分を許して、許して、許し切ると…
すでに、すべてが許されていたことに気づくときがやってきます。
そうして、自分という存在は、
そんな愛そのものだった…ということを思い出すんですね。
これが、”宇宙の愛に還っていく私たちが共有するストーリー”です。
このメッセージが、いつかあなたの胸に響きますように。。。