ラジオで、ディープトーク!
その日に「お知らせ」かい、と突っ込まれそうですが…
本日、ラジオに出演しま~す。
もう、何回も声を掛けてくれている貴重な友だち、
田中小梅さんがパーソナリティを務める番組で、
月1位のペース?で、二人トークしようとお招きいただきました。
今日、6月1日の16:00~17:00、
そして7月も、『田中小梅の開運話』に出演します。
すでに、みなさんご存知かと思いますが、
田中小梅さんとは、20年来のお付き合いという、ふか~~いご縁。
そして彼女は、この世での肩書きは数々もっていますが、
在日宇宙人です。(笑)
宇宙意識で生きているという意味ですよ。
今回はテーマを決めてディープトークしよう、
ということになっているものの、
テーマは現時点で未定。
会ってから決めようという旬の気、、、のん気なんですヮ。
どんな展開になりますか…よかったら聴いてね!
公式アプリをダウンロードすれば、
全国どこの地域からもお聴きになれます。
また、聞き逃しちゃいましたという方は、
なんせ急なお知らせなので、m(__)m
番組の録画をご覧になれます。
ツイキャスで同時公開されることになっているので、
その日の顔出しラジオ番組を、再生してお楽しみくださいネ。
こちらからどうぞ。
このごろとみに、自分がすっかり、
ゆったりペースになってしまったことにおどろいています。
ま、世の中がめまぐるしく変わりすぎで、
私が乗り遅れているだけなのかもしれませんが・・・
で、思ったんですョ。
変化し続けるものと、
普遍的なものが、両方ある中で、
普遍的なものに意識を合わせて生きようとしているせいかなぁ…
アクセクしないことの快適さを覚え、
アクセクしていたからくりを知り、
ゆったり生きることを選択したからかなぁ…
なーんてね。
そんな折、
「ユーチューブでトークの映像流さない?」と誘われて、
「えっ!?」と戸惑う私。
「もう一回、説明して…」ってことに。(^▽^;)
ついていけない。。。アハハです。
もしやることになったら、今度こそ、早めに報告しまーす!
特別ってなに?
令和になって、3週間。
私、令和のエネルギー好きです!
なーんて書いちゃうということは、
たぶん、今の自分が好きってことなんでしょうね。
「吹く風に乗って、ただ生きている」今の自分に、
幸福感と安心感があります。
長々生きてきたけど、こんな感覚ははじめて。
それで、ふと振り返ると…
どうしてあんなに「特別であること」を求めて、
ず~っとあがいてきたんだろう・・・と思うわけですよ。
特別扱いされるのが好きで、
自分は好かれているかばかり心配して、
いつもいつも誰かと比べていたっけ。
社会的に評価されることを生きがいにして、
自分はどうすれば幸せになれるかを考えていたつもりが、
頭はすっかり「幸せのモデル」に洗脳されていたなぁ…
自分とは「肉体+感情+思考」の産物と思っていたから、
即物的になっていたのはやむを得ないとしても…
ほんと、しんどかったなぁ~って。
でも、今はね、
魂が人間スーツを着て人生を体験中、と思っているから、
ちょっと違う。
感情は人間スーツの一部だから、イヤな気分になるときもあるけど、
「ほう、これが出た」と気づいてやり過ごせるようになりました。
別の言い方をすると、
ネガティブな感情に振り回されるのは、
それをつかみ取る思考(こだわる考え方)をしているせいで、
何度も何度も、その感情をリフレーンするからだと気づいたんです。
イヤな記憶(言葉や体験、感情)を自分にリフレーンさせない!
リフレーンしていいことって何もないから。
不快感や失望感や怒りが増すだけ。
今、新鮮な今、この瞬間にある大切なものを見失うだけ。
旬の出来事や、
毎瞬、生まれる自分や、
ここにある美しいものを見逃したら、もったいないじゃん!
ということで、
以前より、リフレーンさせないことが上手になった私は、
「吹く風に乗って、ただ生きている」ができるようになって、
物事や感情を、一陣の風のように感じます。
そして、
特別なものが手に入ると、幸せになれるんじゃない。
特別なものにこだわらなくなると、幸せになれる。
もっというと、
平凡さの中に、幸せは当たり前に、もとからあった…と実感!
特別って、比較した上で言うことだから、
誰とも何とも比較しなくなると、唯一の自分に目覚めるんですね。
唯一・・・そう、あなたも、私も、あの木も、あの花も、あの猫も、
みんな唯一の存在じゃ~んとなって、
みんな同じだと悟る。
平凡とは、
特別であろうとしないことは、
かくも心安らかで幸いなことか……しみじみ…(^▽^;)
いろんな風が吹く、平凡な日々を送りつつ、
私、元気に生きてますよー!
第三の目、ヒラケゴマ~!
このところ、沖縄は一気に夏モード。
というか、
短い春が去って、
早くも、梅雨を思わせるような湿気・・・
去年の7月に移住したので、未知の季節を体験中です。(^▽^;)
なんでもおもしろがることには、ちーと自信がありますが、
湿気ばかりは、対処法でいくことに。
さっそく除湿器を買いました!
長野はストーブを使う期間が長かったから、加湿器だった。
なつかし~い。
ところ変われば、生活も、気分も、食べ物も、
顔まで変わりそう…どう!?…脂ぎってる。
さて、内面のお話を。
先日、突然、思い出したんです。
「私、すごーく地球にきたかったんだぁ」
「人間になっていろいろ体験したかったんだぁ」ってね。
それは、いい体験とか悪い体験とか、
今、頭で判断するような次元とは、全然ちがうの。
だから、
つらい思いはしたくないとか、悩みたくないとか、
そういった細かいことはどうでもよくて、
全部、
人間として体験できることすべてに興味津々だった。
そして、
慈愛だけしか存在しない、
意識としてひとつに溶け合っている次元から、
そこがいわば私たちの故郷…
魂という形で、ひとりの人間(私)に宿ったんです。
宿るという表現より、
魂のまゆの中にひとりの人間を抱くように存在する、
というほうが正解かな。
その輪郭をオーラとして認識することもできます。
その状態で、さまざまな人生経験をしながら、
本人はずっと無自覚でしたが、
人間の目と、魂の目を通して、この世を見てきたんですね。
魂の目があるから、ふとひらめいたり、直観が働いた。
私がそのことに気づいたのは、
頭を置いて、魂の声を聴き取れるようになってから。
それまでは、
人間の目がすべてと思い込んでいたので、
どうしてうまくいかないんだろう…と悩みまくりました。
でも、自分(私たち)の正体を思い出して、
つまり、
人間になることができて晴れてこの世へ遊びにきた、とわかってからは、
もう、楽しむことしか眼中になくなったのです。(笑)
楽しむといっても、うれしいことばかりじゃありませんよ。
痛みも、不安も、不快感もやってくるけど、
「今、こんなこと感じてるぅ」と何もかも抱きしめちゃう。。。
だって、人間でいられる期間は条件付き。
私なんて、もう残り少ない人生なんだから。
本当にやりたいことを、躊躇しないでやりたーい!
魂からあふれる愛を解き放ちたーい!
今は、そんな気持ちを分かち合える仲間と出会うことが、
最大の喜びです。
このブログを読んでくれるあなたも、そのひとり。
ありがとう~~♡
さて、いよいよ平成から令和へ移行しますね。
どんな気持ちで過ごしていますか?
心にある余計な心配を断捨離して、
どんな体験も大丈夫の魂に寄り添って、
第三の目で物事を見て、「そうか、そうか」と納得して、
新しい時代を愉快に生きましょう!
「令和」によせて
「令和」についての所感は、ホームページのエッセイに書きました。
ここではもう少し突っ込んで・・・
「令和」という新しい時代がまもなくやってきます。
私は、この「新時代」が、
「神時代」の幕開けになるような気がしてなりません。
これからは、私たちひとりひとりが、
自分の中に〝神〟を見出していく時代になるという予感があるんです。
つまり、これからは多くの人が、
エゴ丸出しの人間心に翻弄されて、右往左往して生きるのではなく、
神意識に到達して、悠々と生きはじめる、ということ。
自分の内側に響く、神の声を聴くようになるのかもしれませんね。
ちなみに、常用字解によると、
令和の「令」の字は、
「ひざまずいて神のお告げを受け取る人の形」を表しているそうです。
こんなことを書いていると、
「で、自分はどうなの?」という声が聞こえてきそうですが…(-_-;)
私だって、
この大きなエネルギーのうねりに乗って、
内側に響く神の声に耳を傾けながら生きていきたい。
そして、エゴ丸出しのやっかいな感情を払いたい。
と思っています。が・・・
人間心にあふれた感情は、本当は、
払うとか、消すとか、超越するとか、
そういうことじゃないんですね。
意識が高まるということは、
柔軟で大きな器の持ち主になるということ。
その分、
何に対しても惜しみない愛を注ぐようになるのです。
もし、神意識で人間的な感情を見るならば、
いい感情、悪い感情、という見方はせず、
どんな感情も、一陣の風のように映るのではないでしょうか。
その瞬間、心を吹き抜けるだけ。
次の瞬間には、もう消えている。
私たちがそんなふうに思えないのは、記憶力があるからなんですね。
意識が高まれば高まるほど、
いちいち記憶の箱を開けて騒ぎ立てるなんて、ナンセンス。
今という新鮮な瞬間にいるほうが、楽しいよ。
ということになるのかも!
それってラクよねぇ。
あ~、一日も早く、そうなりたい。(笑)
意識の高さは、愛の深さ・・・
生きているうちに、みんなで神意識を体験しよう!
そんな世界を見てみたーい。(*'▽')/
里帰りは、毎度ビッグ・チャンス!
ご無沙汰で~す!
またまた名古屋へ行っておりました。
3月1日に90歳になった父が、
名古屋でがんばってひとり暮らしを続行中なので、
ちょくちょく顔を出して、身の回りの世話を焼いています。
人間は気力で生きる!ということをまざまざと見せてくれる
すごい父です。
でも、頑固です。(>_<)
うるさいことを言われるのは、うっとうしい。
それは百も承知なんですが、あれこれ注意しないわけにもいかず、
シカトされ・・・嫌がられ・・・
悲しい思いをし・・・途方に暮れる・・・
もうね、
たっぷり、ヤキモキ・イライラして帰ってきました。(苦笑)
沖縄で、部屋から海を眺めて、ほ~とため息。
ぽち、ぽち、振り返るうち……癒されて……
そっかーと、大事なことに気づきました。
①「父とともに過ごした」
それだけのことなのに、自我はいらないものをくっつけるんです。
②「父は頑固だ」
これはデータ、単なる分析なので、まぁここまでは問題なし。
③「だから私は困る。やりにくい。イライラさせられる」
この感情、これがいらないものなんですね。
それをきっかけに、愚痴と被害妄想のストーリーをくり出すから。
ここで言うストーリーとは、
苦痛と心配がぎっしり詰まった〝不快な想像〟のこと。
これを悶々と続けていると、とどのつまりは、
「もういや!」「なんで私ばっかり…」ということになりかねません。
あなたも、身に覚えがありませんか?
上の「父」というところに、
あなたに「イヤな思いをさせた人」を当てはめてみて。
②は、その人のデータ。
③は、あなたの感情。
家族はもちろん、職場の人や友だちなど、
この先も付き合っていく人に、不快な感情を持ちたくないのは当然ですよね。
なのに、
私たちは無意識でいると、
ついダラダラ回想して、不快な想像を続けてしまうものなんです。
かといって、これ以上私たちの貴重な時間を、
気が重くなるだけで、なんの発展性もない不快な想像に奪わせてはいけませーん!
これを回避する、とっておきの方法を見つけました。
気づけばいい。
気づくだけでいい。(*^^)v
「おー、あぶない、あぶない。ダラダラ回想して、不快な想像を続けてた」って。
ハタと気づくと、不思議、不思議、
その瞬間に、心に渦巻いていたイヤな感情から解放されます。
今度、悶々としてきたら、イライラしてきたら、
ぜひ、気づいて~~!!
「ダラダラ回想して、不快な想像を続けてたな」ってことに。
気づけば、その人はその人をしているだけだとわかるから、
あとは「もう考えるの、やーめた!」で終われます。
不快な想像を続けるのは、〝自我〟のなせるわざ。
かたや、
その自我に気づくことは、〝本来の自分〟に帰ることです。
だから、心が軽くなって、
今にいられるようになるから、ホッとするんですね。
自我はいつも、
問題をほじくり出して、「この不安をどうする?」とあおりますが、
本来の自分は、あるがまま。
白も黒もグレーも、「これでいいのだ!」とまるっと受けとめます。
あのバカボンのパパのように。
だって、この世にあるものは、
もともと、ぜーんぶファジーで完璧なんですから。
あーぁ、気づいてよかったぁ。
気づいた私も、フェイドアウト。。。やれやれ(笑)
ラジオに出ます!というお知らせ
先月、沖縄のコミュニティラジオに出演したところ、
その番組のパーソナリティであり、友人でもある小梅さんから、
またまたお声がかかりました。
うれし~~い!
ということで、明日3月2日の16:00~17:00、
さらに、3月16日も(予定ですが)
『田中小梅の開運話』に出演します。
すでに、みなさんご存知かと思いますが、
田中小梅さんとは、つい先日も台湾旅行に行ってきた仲。
沖縄移住の先達であり、20年来のお付き合いという、
ふか~~いご縁のお友だちなのです。
明日は、さらに突っ込んだ話になるでしょうねぇ。
よかったら聴いてみて!
公式アプリをダウンロードすれば、
全国どこの地域からもお聴きになれます。
で、ですね、
先月、聞き逃しちゃいました。とか、
今月、そのときは聴けませーん。という方に、
なんと「番組の録画を観られる」というお知らせです。
そもそも、前回、ラジオの生番組が、
ツイキャスとやらで同時公開されていることに、ビックリ仰天した私。
すっかり時代の波に乗り遅れております……
ということで、顔出しラジオなんです。ホエ~
録画を再生できるリンク先を載せておきます。
さて、話は変わり、
台湾旅行の目的はなんだったのかというと、
ジャーン、レーザーシミ取り~~!
そりゃね、いい歳になったんだから、
顔のシミもシワも愛そうと思ってはいましたよ。
でも、仕方がないから愛するのは、愛じゃないし・・・
できることなら、できることをして、まだきれいでいたい。
これが、普遍で、不変の、女心だとつくづく感じたんですね。
とはいっても、なまけものの私ですから、
小梅ちゃんの体験談を聞かず、実際に白くなった顔を見なかったら、
行く決心はしなかったと思いますが、
「だったら、私も連れてってー!」
「ついでに、小籠包も火鍋も食べたーい!」となりました。
もし、期待したほどの効果が顔に表れなくても、
テーマパークに遊びに行くようなノリで十分楽しんできたので、
ま、それはそれでいっか、という軽さです。
明日は、シミ取り術後、1週間目。
まだ焦げたように浮き出ている黒ジミが、
遠目ながら見えるかもしれませんが、(笑)
日焼け止めをバッチリ塗って、出かけます。
未知の体験は、死ぬまで続くのだ・・・
いや、死ぬのが、きわめつけの未知体験?!
(^▽^;)
中高年 讃歌!
このブログを読んでくれる人の年代がわかりませんが、
私と一緒に歩いてきてくれた人たちも多いと想像して・・・
今日のテーマは〝熟年〟です。
人生を折り返せば、熟年の仲間入り。
「まあ、でも〝熟年〟っていい響きだよナ」と思っていたら……
世間では、
45歳から64歳を「中高年」、
65歳以上は「高齢者」、と呼ぶらしい。
ちなみに「熟年層」は、両者。
今年の秋に誕生日を迎えたら、
な、な、なんと高齢者の仲間入りをする私。
正直、シニア割引はありがたいけど、
シルバーシートも最近は座っちゃうけど、
自分から「年より臭く」なるのはやめよう、と自分に誓った。
たとえば、「よいしょ」「どっこいしょ」の連呼とか、
なにかする前に「もう歳だから」と思ったり言ったりすること。
まあね、確かに、
若いときと比べたら、体力、記憶力、根気は衰えましたよ。
でもこのところ、
めきめきと…とはいわないけれど、
それに代わるものが冴えてきた、と感じるんです。
それは、「眼力=直観力」と「断捨離力」
エゴ(特に、この世にある物への執着心)が薄れてきた分、
目に見えないモノに助けられているように感じるのかもしれません。
それを、直観力や、断捨離力として受け取るんだと思います。
そう。
中高年は、長い年月をダテに生きてきたわけじゃない。
失うものがあれば、得るものがあるのです。
それが『自然の理』です。
もしも、年々失っていくものをなげいて過ごしていたら、
だれだって気持ちが萎えていくのは当たり前です。
そんなことはやめ、やめ。
なーんの足しにもなりませんから。
それより、
この歳までがんばって生きてきたからこそ得られたものを、
しっかり見据えて、にんまりしようではありませんか!
なんだか〝中高年讃歌〟のようになってきましたが、(笑)
あなたも私も、まだまだ捨てたものではありません。
人生は、これからもっとずっとおもしろくなるはずだから。
なぜなら、
今までは見えていなかったもの、また、すごく知りたかったことが、
チラチラと見えはじめ、知り得るようになるからです。
まさに、「未来とは、未知の体験なのだ~!」
まだ知らない体験が待ちかまえているのが、未来です。
それを、堂々とおもしろがって過ごそうではありませんか。
未来に不安を覚えるのは当然。だって未知だもん。
というくらい開き直って、
不安という感情さえも、掌の上でもてあそんじゃう。
(くれぐれも、もてあそばれないように……)
だって人生には、
その歳にならないとわからない、心の機微や、
その歳になったからこそ使える、知恵や、
その歳まで生き延びたから理解できる、宇宙の真理が、
いっぱいあるから!
それを宝探しのように、楽しみましょう~~!!
なんか、今日は熱く語っちゃいましたが・・・
じつは、熟年層に向けて、
元気を出して♡ とエールを送る本を書こうと思って。
そういうと、かっこよく聞こえるかもしれませんが、
じつは、これまで自分が書いた本を読み返してみても、
「私はそのときの自分自身に向けて書いたんだナ…」
と感じることが多いんです。
私の根っこと、読んでくれる人の根っこがつながっていて、
結果的に「あなたに贈る言葉」になるんですね。
ということで、
今の私が、今まで生きてきた私に贈る言葉をつづりますから、
それを分かち合っていただけたらうれしいです。
いつ本になるか全然わかりませんが、
気長に待っていてください。
いつも応援、本当に本当に、ありがとう!! (*^-^*)