ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

新生した自分を祝福しよう

朝、熟睡して目が覚めると、

昔は、「あー、よく寝た」と満足して伸びをしたものですが、

最近は、「あー、どっかへ行ってたな」と感じることがあります。

 

その「どっか」が、宇宙のどこなのかわかりませんが、

とにもかくにも、広がっていた意識がふたたび小さな体に戻り、

「人間スーツ装着!」となって目が覚めるんです。

 

隣で目を覚ました主人に、思わず、

「また会えたね!」と言ったこともあります。

なぜか「うん…」と答えました。(笑)

  

毎朝ベッドの中で、

自分が新生したことに、ささやかな感動と喜びを覚えるのは、

なかなかいいものです。

夜が明けて新しい一日がはじまることが、

少しも当たり前ではなく、とても新鮮に感じられます。

 

 

ところで、

「朝」という漢字は、「十月十日」(とつきとおか)と書くんですね。 

宇宙という母の胎内に十月十日宿り、

生まれてくる新たな時が「朝」である、という意味。

 

自分は毎朝、時とともに生まれ変わっている・・・と思うと、

ちょっと感動しませんか?

 

だれでも自分の子どもが生まれたときは、

「よく生まれてきた!」と心から祝福するでしょう。

なのに、自分が毎朝生まれ変わっていることには、

まるで無頓着 & 無感動なのは、どうしてなんでしょうか。

 

たぶん、

朝を迎えられることを「当たり前」と思っているから。

もしくは、

「今日の自分は、昨日の自分の続き」と思っているから。

 

どちらも違うんですよ。

 

毎朝目が覚めることは、決して当たり前ではありません。

「物事はくり返す」と考えるのは人間だけです。

なまじ記憶力があるために、(これもあいまいなものですが)

「私」が続いているように錯覚するんですね。

 

けれど、同じ朝も、同じ自分も、存在しません。

 

宇宙は常に動き続け、新しい存在を生成し続けます。

その中に人間も含まれる。

つまり、

私たちが生きることは、新生した自分に会い続けることなんです。

 

毎晩、頭を置いて(観念を忘れて)、

母なる宇宙に抱かれてどっぷり癒され、

毎朝、生まれ変わったような新鮮な気分で目覚める・・・

それはなんて素敵なことでしょうか。

 

朝、目が覚めたら、

「新生しました。ありがとう!」

そう言って一日をはじめてみませんか?

 

きっと、頬がゆるんで、

体の芯からふつふつとエネルギーがわいてきますよ。(*'▽')