どっちに軸足を置く?
引っ越しの荷づくりに追われながら、
「時間ってなんなんだろう・・・」と思う。
時間に対して、
過去から未来に流れる絶対的な存在という感覚は、
すっかり薄れている。
毎瞬、新たな現象が現れては消えていく…
それを見たり、体験したりしている私がいるだけ。
もっと言うと、
その私は、いると言えばいるけど、
いないと言えばいない…という感じ。
いろんなことが起きているようで、
なにも起きていないという次元から眺めれば、
すべてが幻影とわかるから…
そろそろ言葉の限界なので、(-_-;)
話を「時間ってなんなんだろう・・・」に戻すと、
時間はあると言えばあるし、
ないと言えばない、ということになります。
それを承知の上で、、、
三次元世界で人間を体験中の私たちは、
時間があることを人生ゲームのルールと割り切って、
ハラハラ、ドキドキ、ワクワクする感情を楽しめばOK!
泣いたり、笑ったり、感動したり、
苦しむ自由さえあることを、
生きている実感として、豊かに味わえばいいんですよ。
でもね、いつだって、
「こうならなかったらダメだ」とか、
「こうじゃないと意味がない」なんて深刻にならないこと。
本当は、
あなたを追い詰めることなんて、だれにもできないんだから。
心が傷つくのは、
自我が、傷つくような観念を取り入れているせいなんです。
眠っているとき、
あなたは人間スーツを脱いで、本来のワタシに還っています。
自我不在のあいだに元気を回復するためです。
つまり、
人間スーツが「自我=疲れの元」なんですね。
本来のワタシは、
「生命エネルギー」「ソレ」「純粋意識」・・・
疲れることも、失うことも、消えることもありません。
あなたがなんとなく感じている自分の正体…
根源的な存在のようなものがあるとすれば、
それがあなたです。
その自分に軸足を置いて、今抱えている悩みを見てみましょう。
解決することより、
体験することが、
人間に生まれてきた目的だとしたら、、、
その悩み、
「ま、なんか…どっちでもいっか」と思えませんか?