「令和」によせて
「令和」についての所感は、ホームページのエッセイに書きました。
ここではもう少し突っ込んで・・・
「令和」という新しい時代がまもなくやってきます。
私は、この「新時代」が、
「神時代」の幕開けになるような気がしてなりません。
これからは、私たちひとりひとりが、
自分の中に〝神〟を見出していく時代になるという予感があるんです。
つまり、これからは多くの人が、
エゴ丸出しの人間心に翻弄されて、右往左往して生きるのではなく、
神意識に到達して、悠々と生きはじめる、ということ。
自分の内側に響く、神の声を聴くようになるのかもしれませんね。
ちなみに、常用字解によると、
令和の「令」の字は、
「ひざまずいて神のお告げを受け取る人の形」を表しているそうです。
こんなことを書いていると、
「で、自分はどうなの?」という声が聞こえてきそうですが…(-_-;)
私だって、
この大きなエネルギーのうねりに乗って、
内側に響く神の声に耳を傾けながら生きていきたい。
そして、エゴ丸出しのやっかいな感情を払いたい。
と思っています。が・・・
人間心にあふれた感情は、本当は、
払うとか、消すとか、超越するとか、
そういうことじゃないんですね。
意識が高まるということは、
柔軟で大きな器の持ち主になるということ。
その分、
何に対しても惜しみない愛を注ぐようになるのです。
もし、神意識で人間的な感情を見るならば、
いい感情、悪い感情、という見方はせず、
どんな感情も、一陣の風のように映るのではないでしょうか。
その瞬間、心を吹き抜けるだけ。
次の瞬間には、もう消えている。
私たちがそんなふうに思えないのは、記憶力があるからなんですね。
意識が高まれば高まるほど、
いちいち記憶の箱を開けて騒ぎ立てるなんて、ナンセンス。
今という新鮮な瞬間にいるほうが、楽しいよ。
ということになるのかも!
それってラクよねぇ。
あ~、一日も早く、そうなりたい。(笑)
意識の高さは、愛の深さ・・・
生きているうちに、みんなで神意識を体験しよう!
そんな世界を見てみたーい。(*'▽')/
里帰りは、毎度ビッグ・チャンス!
ご無沙汰で~す!
またまた名古屋へ行っておりました。
3月1日に90歳になった父が、
名古屋でがんばってひとり暮らしを続行中なので、
ちょくちょく顔を出して、身の回りの世話を焼いています。
人間は気力で生きる!ということをまざまざと見せてくれる
すごい父です。
でも、頑固です。(>_<)
うるさいことを言われるのは、うっとうしい。
それは百も承知なんですが、あれこれ注意しないわけにもいかず、
シカトされ・・・嫌がられ・・・
悲しい思いをし・・・途方に暮れる・・・
もうね、
たっぷり、ヤキモキ・イライラして帰ってきました。(苦笑)
沖縄で、部屋から海を眺めて、ほ~とため息。
ぽち、ぽち、振り返るうち……癒されて……
そっかーと、大事なことに気づきました。
①「父とともに過ごした」
それだけのことなのに、自我はいらないものをくっつけるんです。
②「父は頑固だ」
これはデータ、単なる分析なので、まぁここまでは問題なし。
③「だから私は困る。やりにくい。イライラさせられる」
この感情、これがいらないものなんですね。
それをきっかけに、愚痴と被害妄想のストーリーをくり出すから。
ここで言うストーリーとは、
苦痛と心配がぎっしり詰まった〝不快な想像〟のこと。
これを悶々と続けていると、とどのつまりは、
「もういや!」「なんで私ばっかり…」ということになりかねません。
あなたも、身に覚えがありませんか?
上の「父」というところに、
あなたに「イヤな思いをさせた人」を当てはめてみて。
②は、その人のデータ。
③は、あなたの感情。
家族はもちろん、職場の人や友だちなど、
この先も付き合っていく人に、不快な感情を持ちたくないのは当然ですよね。
なのに、
私たちは無意識でいると、
ついダラダラ回想して、不快な想像を続けてしまうものなんです。
かといって、これ以上私たちの貴重な時間を、
気が重くなるだけで、なんの発展性もない不快な想像に奪わせてはいけませーん!
これを回避する、とっておきの方法を見つけました。
気づけばいい。
気づくだけでいい。(*^^)v
「おー、あぶない、あぶない。ダラダラ回想して、不快な想像を続けてた」って。
ハタと気づくと、不思議、不思議、
その瞬間に、心に渦巻いていたイヤな感情から解放されます。
今度、悶々としてきたら、イライラしてきたら、
ぜひ、気づいて~~!!
「ダラダラ回想して、不快な想像を続けてたな」ってことに。
気づけば、その人はその人をしているだけだとわかるから、
あとは「もう考えるの、やーめた!」で終われます。
不快な想像を続けるのは、〝自我〟のなせるわざ。
かたや、
その自我に気づくことは、〝本来の自分〟に帰ることです。
だから、心が軽くなって、
今にいられるようになるから、ホッとするんですね。
自我はいつも、
問題をほじくり出して、「この不安をどうする?」とあおりますが、
本来の自分は、あるがまま。
白も黒もグレーも、「これでいいのだ!」とまるっと受けとめます。
あのバカボンのパパのように。
だって、この世にあるものは、
もともと、ぜーんぶファジーで完璧なんですから。
あーぁ、気づいてよかったぁ。
気づいた私も、フェイドアウト。。。やれやれ(笑)
ラジオに出ます!というお知らせ
先月、沖縄のコミュニティラジオに出演したところ、
その番組のパーソナリティであり、友人でもある小梅さんから、
またまたお声がかかりました。
うれし~~い!
ということで、明日3月2日の16:00~17:00、
さらに、3月16日も(予定ですが)
『田中小梅の開運話』に出演します。
すでに、みなさんご存知かと思いますが、
田中小梅さんとは、つい先日も台湾旅行に行ってきた仲。
沖縄移住の先達であり、20年来のお付き合いという、
ふか~~いご縁のお友だちなのです。
明日は、さらに突っ込んだ話になるでしょうねぇ。
よかったら聴いてみて!
公式アプリをダウンロードすれば、
全国どこの地域からもお聴きになれます。
で、ですね、
先月、聞き逃しちゃいました。とか、
今月、そのときは聴けませーん。という方に、
なんと「番組の録画を観られる」というお知らせです。
そもそも、前回、ラジオの生番組が、
ツイキャスとやらで同時公開されていることに、ビックリ仰天した私。
すっかり時代の波に乗り遅れております……
ということで、顔出しラジオなんです。ホエ~
録画を再生できるリンク先を載せておきます。
さて、話は変わり、
台湾旅行の目的はなんだったのかというと、
ジャーン、レーザーシミ取り~~!
そりゃね、いい歳になったんだから、
顔のシミもシワも愛そうと思ってはいましたよ。
でも、仕方がないから愛するのは、愛じゃないし・・・
できることなら、できることをして、まだきれいでいたい。
これが、普遍で、不変の、女心だとつくづく感じたんですね。
とはいっても、なまけものの私ですから、
小梅ちゃんの体験談を聞かず、実際に白くなった顔を見なかったら、
行く決心はしなかったと思いますが、
「だったら、私も連れてってー!」
「ついでに、小籠包も火鍋も食べたーい!」となりました。
もし、期待したほどの効果が顔に表れなくても、
テーマパークに遊びに行くようなノリで十分楽しんできたので、
ま、それはそれでいっか、という軽さです。
明日は、シミ取り術後、1週間目。
まだ焦げたように浮き出ている黒ジミが、
遠目ながら見えるかもしれませんが、(笑)
日焼け止めをバッチリ塗って、出かけます。
未知の体験は、死ぬまで続くのだ・・・
いや、死ぬのが、きわめつけの未知体験?!
(^▽^;)
中高年 讃歌!
このブログを読んでくれる人の年代がわかりませんが、
私と一緒に歩いてきてくれた人たちも多いと想像して・・・
今日のテーマは〝熟年〟です。
人生を折り返せば、熟年の仲間入り。
「まあ、でも〝熟年〟っていい響きだよナ」と思っていたら……
世間では、
45歳から64歳を「中高年」、
65歳以上は「高齢者」、と呼ぶらしい。
ちなみに「熟年層」は、両者。
今年の秋に誕生日を迎えたら、
な、な、なんと高齢者の仲間入りをする私。
正直、シニア割引はありがたいけど、
シルバーシートも最近は座っちゃうけど、
自分から「年より臭く」なるのはやめよう、と自分に誓った。
たとえば、「よいしょ」「どっこいしょ」の連呼とか、
なにかする前に「もう歳だから」と思ったり言ったりすること。
まあね、確かに、
若いときと比べたら、体力、記憶力、根気は衰えましたよ。
でもこのところ、
めきめきと…とはいわないけれど、
それに代わるものが冴えてきた、と感じるんです。
それは、「眼力=直観力」と「断捨離力」
エゴ(特に、この世にある物への執着心)が薄れてきた分、
目に見えないモノに助けられているように感じるのかもしれません。
それを、直観力や、断捨離力として受け取るんだと思います。
そう。
中高年は、長い年月をダテに生きてきたわけじゃない。
失うものがあれば、得るものがあるのです。
それが『自然の理』です。
もしも、年々失っていくものをなげいて過ごしていたら、
だれだって気持ちが萎えていくのは当たり前です。
そんなことはやめ、やめ。
なーんの足しにもなりませんから。
それより、
この歳までがんばって生きてきたからこそ得られたものを、
しっかり見据えて、にんまりしようではありませんか!
なんだか〝中高年讃歌〟のようになってきましたが、(笑)
あなたも私も、まだまだ捨てたものではありません。
人生は、これからもっとずっとおもしろくなるはずだから。
なぜなら、
今までは見えていなかったもの、また、すごく知りたかったことが、
チラチラと見えはじめ、知り得るようになるからです。
まさに、「未来とは、未知の体験なのだ~!」
まだ知らない体験が待ちかまえているのが、未来です。
それを、堂々とおもしろがって過ごそうではありませんか。
未来に不安を覚えるのは当然。だって未知だもん。
というくらい開き直って、
不安という感情さえも、掌の上でもてあそんじゃう。
(くれぐれも、もてあそばれないように……)
だって人生には、
その歳にならないとわからない、心の機微や、
その歳になったからこそ使える、知恵や、
その歳まで生き延びたから理解できる、宇宙の真理が、
いっぱいあるから!
それを宝探しのように、楽しみましょう~~!!
なんか、今日は熱く語っちゃいましたが・・・
じつは、熟年層に向けて、
元気を出して♡ とエールを送る本を書こうと思って。
そういうと、かっこよく聞こえるかもしれませんが、
じつは、これまで自分が書いた本を読み返してみても、
「私はそのときの自分自身に向けて書いたんだナ…」
と感じることが多いんです。
私の根っこと、読んでくれる人の根っこがつながっていて、
結果的に「あなたに贈る言葉」になるんですね。
ということで、
今の私が、今まで生きてきた私に贈る言葉をつづりますから、
それを分かち合っていただけたらうれしいです。
いつ本になるか全然わかりませんが、
気長に待っていてください。
いつも応援、本当に本当に、ありがとう!! (*^-^*)
ふたたび、ラジオに出ま~す!
みなさーん、お元気ですか?
私の体は、ようやく沖縄バージョンに移行しつつある…
と思いたいです。(ちょっと弱気)
今月はじめ、気温が20度くらいになったとき、
私の体は身構えたはず。
「これからもっと寒くなりますね。よっしゃ~~!」と。
ところが、それで冬はオワリ!?
ジワジワと気温は上昇していき、
「えっ、24度ですか? 承知しました!」と毛穴を開けば、
一気に気圧が下がって沖縄特有のスコール、と、シトシト雨。
その間、湿度は50%から90%を行ったり来たり。
クラクラ~~(脳が揺れる音)、ミシミシ~~(関節がきしむ音)
14年もいた長野の冬と勝手が違い過ぎて、
体はおどろきを隠し切れない。
微熱を出したり、急に咳き込んだり・・・
とまあ、「ど、どうなってんの?」という日々を送っていました。
いえ、送っています。(^▽^;)
沖縄に暮らす友人は、
「最初の一年は、気候(特に湿気)に振り回されるかもねぇ。
でも、体は徐々に馴染んでいくから大丈夫!」
と励ましてくれます。
さらに、「順応性の高い私でも馴染むのに一年かかったから、
焦る必要ないよ」とあっさり。
なんか、この友に打ち明けると、いつも心配するのがバカバカしくなる。
まっこと、ありがたい存在です。
来る土曜日、
この友がパーソナリティを務めるラジオの生番組に、
なんとゲストに呼ばれました!
ふたたびラジオでおしゃべりできるなんて、しあわせ~~
今回のDJ、田中小梅さんは、旧知の友。
Noteでは、交換日記をしている間柄。
彼女は実に多才なんですよ。
『神様とおしゃべりできる小梅さんの開運話』の著者であり、
『私を生きるセラピー』の創始者です。
ほかにいくつもの顔を持ち、私のことも知り尽くしているときた。
ここから公式アプリをダウンロードしていただければ、
全国どこからでもお聴きになれます。
2月16日(土)、16:00~17:00「田中小梅の開運話」
さてさて、どんな展開になりますやら。
お楽しみに~~!
新たな波乗りがはじまったよ~
2月4日を境に、いよいよ2019年のエネルギーが動きはじめましたね!
立春は、天のお正月。
人間界では、1月1日からを新年としていますが、
実際に、宇宙のリズムが新しいサイクルに突入するからです。
その宇宙で生きる私たちは、
だれもが等しく、強い愛のエネルギーの波の影響を受けます。
その波に気づいても、気づかなくても。
もしもあなたが、
「なんとなくこんな気持ちになるのよねぇ…」と、
これまでとは違う感覚や感情を感じているとしたら、
もう少し掘り下げて、胸の奥を探ってみたら?
もしかしたら、自分が本当に望んでいること、
つまり、自分が巧妙に覆い隠してきた気持ちを、
見つけ出せるかもしれませんよ。
本当はどうしたいのかを把握することからしか、
後悔しない人生はスタートできません。
そのとき大事なのは、
自分は「どうすべきか」ではなく、「どうしたいか」。
もっと大事なのは、
「どうしたいか」より、「どうありたいか」。
それよりも大事なのは、
「どうありたいか」を考えるより、「私はこう在る!」と決めること。
私もしょっちゅう自問自答しています。
揺れるんですよ、心は。
「こう在る!」と決めても、あきれるほど何度も揺れて、
「あー、まただぁ!」ってなります。
ま、最近では、
「揺れなくなったら、人間じゃない」と開き直っていますが。(笑)
昔も今も、心が揺れるたび、
「〇〇がまだ足りない」と思っている自分を発見します。
そして、〇〇が足りないと思うのは、
△△になることを恐れる自分がいるからだと突き止めます。
重要なのは、ここから。
以前の私は、「この恐れを取り除かなければ…」と思いました。
でも、今は、「何も恐れなくなったら人間じゃない」と思います。
で、
「人間を体験したくて生まれてきたんだから、これもありヨネ」と、
揺れた自分を受け入れて、おしまい。
「それじゃ、成長も進歩もできないじゃないか!」って思いますか?
いいえ。
一番のポイントは、「揺れた自分を受け入れられるか、否か」なんですね。
何かにつまずいて、「あー、まただぁ!」ってなったとき、
自分に対して、
「これではいけない、変わらなくちゃ」とあせるか、
それとも、
「これが体験したかったんだね、よしよし」と微笑むことができるか。
ありのまま、あるがままの自分を生きたーい!
(「ありのまま、なるがまま」は、このブログのタイトルですが…)
ふだんからそう願っている人は、
「よしよし」と受け入れることにこそ価値がある、
ということをわかってもらえると思います。
あるがままの自分で、心軽やかにいると、
ようは、明るくやさしいエネルギーを放っていると、
宇宙の愛のエネルギーに、より共振しやすくなります。
結果、つまずいてもスムーズに事が流れていくようになるんですね。
何があっても笑い飛ばして、精一杯ご機嫌でいましょう!
自然に心身が軽くなって、" 愛" でいられるように。
今年はなるーべく、
そこに意識を合わせて生きていきたいですね! (*^^)v
ゴッドオバア、参上!?
超がつくほど久しぶりのラジオ出演、楽しかったよ~~。
〔ON AIR〕という赤いランプが点灯すると、
なんともいえない懐かしさで胸がいっぱいになって・・・
郷愁っていうのかなぁ?
自分の原風景に触れたっていうのかなぁ?
まるで40年前にタイムスリップしたみたいな気分になりました。
私の「原風景」は、そのときも話したけど、
聴けなかった人のためにもう一度書くと、
20歳で局アナになり、
念願の深夜放送でDJを務めたときの出来事なの。
そのころは、番組宛に送られたハガキを紹介しながら、
感想を言ったり、リクエスト曲をかけたりしていました。
私はいつのまにか、中高生のリスナーたちから
「ゴッドネーちゃん」と呼ばれるようになっていた。(笑)
当時大ヒットしたアメリカ映画、『ゴッドファーザー』からもじったのでしょう。
「頼りになるアネゴ」といったニュアンスだったんだと思います…(^▽^;)
そんなある日、
「死にたい」という文字が躍るハガキを受け取ったんです。
中学生の男子からで、
そこには、つらい気持ちが綿々とつづられていました。
私は必死になってしゃべりまくり、
何を言ったかよく覚えていないけど、たぶん…
「何言ってるの、死んだらおしまいよ!なんとかなるから大丈夫だって」
とかなんとか・・・
翌週、その子からハガキがきました。
「ボクのことをあんなに真剣に考えてくれる人がいるんだと感動しました。
もう死にたいなんて言わないから、ゴッドネーちゃん安心して」と。
私は、脱力感とともに胸に込み上げるものがあって、
何度も、何度も、読み返しました。
「まだ20代の自分でも、一生懸命語って人の心を動かすことができた。
もっともっと、人を元気にする言葉を伝えたい。
それを、ライフワークにしたい!!」
そのとき込み上げた熱い思いが、
心理カウンセラーになったときも、作家になったときも、
ずっと胸の奥にありました。
これが私の原風景。
原風景とは、心がじんわり温かくなるような風景で、
モノの考え方や感じ方に影響を及ぼすと同時に、
人生の可能性を示すことがあるんですよね。
沖縄で、久々にラジオに出て、
パーソナリティの嘉味田さんから、
「まさに、今もゴッドネーちゃんですよね。
これからもどんどん話して私たちを元気づけてください」と言われて、
すっかりその気になっちゃいましたぁ。アハッ
私、復活します!
もう一度、DJやりたい。
「ゴッドネーちゃん」はさすがに気が引けるので、
この際、「ゴッドオバちゃん」でも「ゴッドオバア」でもいいや。
熱く語って人々を元気づけるパーソナリティを目指します!
とまあ、今年の夢を掲げて。。。(*^-^*)
夢は公言してこそ引き寄せられる…と信じて、
やれることを少しずつやっていきまーす。