ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

物と 心と わたし

14年間、慣れ親しんだ我が家から、

自分の荷物がなくなっていくことは、

自分の足跡が消えていくような感じがするものですね。

 

人間は、目に見える物で「自分」の居場所を作り、

自分がそこに置く物で、自分を表現するのかもしれません・・・

 

なーんて、どうでもいいことを思いつつ、

心の中でおうちにお別れを告げました。

 

「大好きだったよ、このおうち。

今まで本当に、ありがとうね!

今度は別の人が、きっと気に入って住んでくれるよ」

 

 

自分の人生は、自分の思いのあらわれ。

だから、目の前にある物や関わる人は、心の写し。

無意識にわいてくる感情は、自分へのメッセージなんです。

 

生身の私は、よく感情が乱れるし、

物や人を大切にできないときもあるけれど、

それはいつも、自分が自分を大切にできていないとき…

 

そんなときは、

自分にあって当たり前のものなど、何一つないのに、

防衛して守り切れるものなど、何もないのに、

すべては移り変わると知っていながら、

何に執着しているの!?って思う…

 

ホントこわがりだねぇ、ゆりりんって。

 

今ここだけが、真実の場所。

今ここに生かされているイノチが、唯一の拠り所だよ。

 

イノチは宇宙、天意。

それは、愛そのもの。

天意に身をゆだね、流れに沿って生きていけばいい。

 

これから展開することを、判断しないで楽しめばいいんだよ。

いつも喜びに満ちて、謙虚に手を合わせて・・・

ね!

 

 

明日、ここ(長野)を離れます。

タイのチェンマイで一週間ほど自分と向き合う時間を持ち、

その後、名古屋で父と温泉に出かけ、

19日から、いよいよ沖縄ライフをスタートさせます。

 

このブログは、日記のような気まぐれなものですが、

読んでくれる人がいることを、心から感謝しています。

 

偶然はひとつもない人生で、あなたに会えてうれしい!

ありがとーー!! またね。(*^▽^*)/

 

今、疲れてます

いやはや、ご無沙汰してしまいました。('◇')ゞ

 沖縄で荷物を受け取って新生活の準備。

 沖縄から名古屋へ向かい、89歳の父の世話。

 沖縄から長野に戻り、最後の荷物整理=心の整理。

 

人生の変わり目は、意識の変わり目だとつくづく感じます。

心の奥から噴き出してくる雑多な感情を味わいつつ、

ジタバタして、

新たな選択をして、

よっしゃあー! とふたたび立ち上がる。。。

 

そんなことを繰り返すなかで、

ハタと気づいたことがありました。

 

 

体が疲れてくると、心の余裕をなくしてイライラしてきますよね。

普段はスルーできることも、心に引っかかってムカつく。

ああでもない、こうでもない…

(おお、久々の夫婦喧嘩 ( `ー´)ノ)

 

「もう、こんな感情は味わいたくない!

不快になる観念には縛られないぞって決めたのに…」

と、いつのまにか自分をなじりはじめてジタバタ。。。

 

そのとき、

湧いてくる嫌な感情から逃れたくて、

その自分から目を背けていたことに気づいたんです。

 

「そっか、これが今の私なんだからどっぷりつかってやれ」

と居直って、真正面から嫌な感情をなめはじめたら、

やっと聞こえましたよ、心の声が・・・

 

「これはもういい? じゃ、次は何を味わう?」

 

すると瞬間的に、

「今あるありがたいこと」にスッと心が向いて、

顔の筋肉が、ぐにゅ~っとゆるんでいくのがわかりました。

なんという怖い顔をしていたんでしょう…(笑)トホホ

 

 

嫌な感情は、

逃げれば、追いかける。(どこまでもついてくる)

向き合えば、昇華できる。(別の感情を味わえる)

 

自分に湧きあがった感情は、

どんなものも、すべて次に進むための起爆剤なんです。

 

もっといえば、メッセンジャー

 

だから、

「おー、そう感じるんだね」って聞いてあげると、

けっしてそれ以上自分を苦しめないし、 

その自分を責めたり、

その感情と敵対しなければ、

本当はどうしたいのか、心が方法を教えてくれます。

 

で、さっそく、

次はどうしたいのか心に聞いてみたら、

「疲れたから休みたい」って。 あぁ…

(やること山積みなのに)

 

仕方ない。ブログ書いたら昼寝しよっかな…

  

どっちに軸足を置く?

引っ越しの荷づくりに追われながら、

「時間ってなんなんだろう・・・」と思う。

 

時間に対して、

過去から未来に流れる絶対的な存在という感覚は、

すっかり薄れている。

 

毎瞬、新たな現象が現れては消えていく…

それを見たり、体験したりしている私がいるだけ。

 

もっと言うと、

その私は、いると言えばいるけど、

いないと言えばいない…という感じ。

 

いろんなことが起きているようで、

なにも起きていないという次元から眺めれば、

すべてが幻影とわかるから…

 

 

そろそろ言葉の限界なので、(-_-;)

話を「時間ってなんなんだろう・・・」に戻すと、

 

時間はあると言えばあるし、

ないと言えばない、ということになります。 

それを承知の上で、、、

 

三次元世界で人間を体験中の私たちは、

時間があることを人生ゲームのルールと割り切って、 

ハラハラ、ドキドキ、ワクワクする感情を楽しめばOK!

 

泣いたり、笑ったり、感動したり、

苦しむ自由さえあることを、

生きている実感として、豊かに味わえばいいんですよ。

 

でもね、いつだって、

「こうならなかったらダメだ」とか、

「こうじゃないと意味がない」なんて深刻にならないこと。

 

本当は、

あなたを追い詰めることなんて、だれにもできないんだから。 

心が傷つくのは、

自我が、傷つくような観念を取り入れているせいなんです。

 

眠っているとき、

あなたは人間スーツを脱いで、本来のワタシに還っています。

自我不在のあいだに元気を回復するためです。

 

つまり、

人間スーツが「自我=疲れの元」なんですね。

 

本来のワタシは、

「生命エネルギー」「ソレ」「純粋意識」・・・

疲れることも、失うことも、消えることもありません。

 

あなたがなんとなく感じている自分の正体…

根源的な存在のようなものがあるとすれば、

それがあなたです。

 

その自分に軸足を置いて、今抱えている悩みを見てみましょう。

解決することより、

体験することが、

人間に生まれてきた目的だとしたら、、、

 

その悩み、

「ま、なんか…どっちでもいっか」と思えませんか?

 

はじめから、大丈夫!

人生に、あれやこれや起きても、

そこで、不安や怒りがわいたとしても、

 

「どうしよう、一大事だ!」とあわてず、

深刻にならないと決めてしまえば、

 

「ほー、こうなったのねぇ…」と変化を味わう余裕が生まれて、

物事のプラスの面を楽しめるようになるでしょう。

 

深刻にならない。

ただ、このワザを覚えるだけで、

生きていくのが、ずっとラクになりますよ。(*^^)v

 

 

私は自分のことを「もしかしたら不安症?」とおびえたくらい、

クヨクヨ考える頭人間でした。

ある日、ついにキャパを超えて、頭の針が振り切ったとき、

「なーんだ、もともと大丈夫だったんだ…」と気づきました。

 

これを覚醒体験といっていますが・・・ 

それも過ぎれば、ただの記憶。

 

だけど、置き土産はデカかった!

 

感情も、思考も、わき起こるものは全部、

表れては消える ‟移ろい” に過ぎない。

 

もともと実体のない感情や思考に、

「私はそう思う。これが私よ!」としがみついて、

感情を絶対的なものに仕立てていた。

ということがわかったからです。

 

 

嫌な感情を生み出すのは、いつも観念。

それが頭の中をグルグルめぐって、

不安に満ちたドラマを作り出していたんですね。

 

嫌な感情は、すべて頭の中に描いたイメージ。

去りゆく雲のようなものだった…

 

早い話が、幻想です。

 

そのことに目覚めて、私の中から深刻さが消えました。

でも、

 モヤモヤ、イライラは、相変わらずやってきます。

 

そんなときは、「観念を手放すチャンス」と思ってじっとしていると、

嫌な感情が薄れていき、 

代わって、雲の隙間から青空が見えてきます。

 

この青空が、本来のワタシ。

 

青空に微笑むと、明るさ、温もり、安心感、愛がよみがえってきます。

 

現れては消える雲は、人生の彩り。 

青空は隠れもせず、最初からそこにあって、

おうおう、こんな雲がわいたね…と見守っている大きな自分なんです。

 

その自分が・・・ 

  人生に起こることに、いい悪いはないよ。

  すべては、魂の自分が計画した体験したいことなんだよ。

  だから、なにがあっても大丈夫! 

  なにがあっても、最初から救われているよ。 

 

と、ずっとエールを送りつづけているのです。

 

住むとこ、見つけた!

ただいまぁ!

お久しぶりです。

 

沖縄に、海の見える部屋をめっけ。

契約してきましたぁ。(^^)v

 

あちこち回っていると、

すばらしい海の景観はあるけど、築29年とか、

新築だけど、海はかなたにチラリと見えるだけとか、

まあ、迷うこと迷うこと。

 

もうどうしよう・・・と思って最後に見に行ったマンション。

部屋に入るなり、

「これ、ヴィジョンにあった…」と、びっくり仰天!

  

じつは、

‟自分がデスクの横にたたずんで水平線を眺めているヴィジョン”

を見たことがあったんです。

そのとき「沖縄に住んでる私がいる…」と感じたのがきっかけで、

移住を考えるようになりました。

 

どうせなら、神の島と呼ばれる久高島を眺めながら暮らしたい!

と、当時は痛切に思ったんですが、

いざ、現地に出かけて物件を探しはじめると、

バーンと海が見える部屋というだけできびしいと言われ、

久高島のことは、正直すっかり忘れていました。 

 

 で、その部屋に足を踏み入れたとき、

正面を指さして「あれは…」と言い終わらないうちに、

「久高島です」と不動産屋のお兄さんの声。

 

「そうか、ここだったのかぁ」と心の中で思いました。

 

ただ、そこ、4階でエレベーターがないんです。

アッチャー (>_<)

ま、エクササイズのつもりで小尻目指してがんばるっきゃない、、、

と腹をくくって決めました。

 

これから引っ越しの準備に取りかかります。フ―

そして、6月から7月にかけて生活拠点を移す予定。

 

 

今回、つくづく感じたことがあります。

「人生は、なるようになる」ということ。

ワクワクして純粋にそうなると信じれば、本当にそうなるのだと。

 

そうなると信じれば、行動を起こすし、

それで満足するから、流れに身を任せられるのかもしれません。

ホームページの5月のエッセイに書いた通り、

「根拠のない大丈夫」が私を支えてくれました。

 

でもね、これはけして特別なことではないんですよ。

だれにでもできることだから、こうして書いているんです。

 

あなたが心から「こんな生き方をしたい!」と思うことがあって、

そうなった自分を思い浮かべるとワクワクするならば、

自分の人生を信じて実行してみませんか。

 

ただ、ワクワクを実行するときはハラハラします。

そのハラハラを、本当は体験したいのかもしれないということなんです。

 

頭は、すぐ疑念や不安を持ち出して、

どうしてそんなことするの!と言ってくるでしょうねぇ。

でも、そうした観念があなたではありません。

 

あなたは、未知の体験をしたくて地球に生まれてきた

イノチそのもの。

 

未知の体験には、ワクワクも、イジイジも、すべて入ります。

だから、なにをするのが正しいということではなく、

自分がなにを楽しいと感じるかが一番大事!

 

私はたまたま新天地を求めることに楽しみを見出しただけです。

あなたは、本当はどんな未知の体験をしたいのでしょうか…? 

 

行動開始~!

年齢を重ねると、先細りのイメージがついてまわり、

「私はどうなっちゃうんだろう?」

と不安が募ります。

 

というか、そうなるのは超簡単なんですョ。実感…(-_-;)

 

そこで、

「どうなるのか?」ではなく、

「どうしたいのか?」で生きる。

と改めて決心したわけです。

 

残り少ない人生ならばなおのこと、

好きなことをしないでどうする!

と思ったんですね。

 

かといって、

若いときと同じように動き回るのは、

むりむり。

 

体と相談しながら、

小さなワクワクを取りこぼさないように、

できることを、できるときに、できるだけ、

思いきり楽しもう。

 

それでいいと思ったら、

なにがどうということはないけれど、

しあわせだなぁ・・・

壮大な計画なんてないけど、

なんかおもしろいなぁ・・・ って感じたんです。

 

そんなある日、

庭の芝の上で大の字になって、ぼーっと山々を眺めていたら、

 今度は砂浜で大の字になって、ぼーっと海を眺めたいナ。

 14年間、山を満喫したから、

 これからは、海を満喫したい!

と思ったんですね。

 

すると間髪入れず、自我が、

 そんなむちゃな、今さら引っ越しする気あるの?

 やっと建てたこの家、終の棲家じゃなかったの?

とワイワイ騒ぎ立てます。

 

で、自分自身とじっくり話し合いました。

沖縄が呼んでる……

なにかはじまりそう……

そんな直感にしたがうのもいいかも……

もう、それしかないよね……

 

本気なら、アクションを起こそう!

 

ということになり、 

ポツポツ断捨離はしていましたが、

今週からひとまず沖縄に行って、

沖縄の海の近くにアパートを借りて、

新たな一歩を踏み出す準備を整えることにしました。

 

実際、行かないとわからないことばかりで。。。(汗)

戻ったら、また報告しまーす。(*'▽')/

 

最初からマルだった!

目覚めるとは、

「もともとそうだったんだ!」という気づきです。

気づくだけ、特別な人になるわけではありません。

 

もともとそうだったこととは、

ひとつは、ありのままの自分でいい

もうひとつは、どこへも向かわなくていい。 

 

 

私はいくつになっても、

気が利かないし、ドジだし、気が小さいし、自己チュウだし、

にもかかわらず・・・ 

「ありのままの自分でいい、なんの問題もない!」

ということが、ズドーンと腑に落ちたんです。

 

それは、なんという安堵…よかったぁ… (*´з`)

 

以来、

自分や人にムカついて、不快な感情におそわれても、

前みたいにあわてなくなりました。

 

不快な感情は風みたいなもの。

だれのせいでもなく、ただ生まれて、

ス~ッと自分を通過していくことがわかったから。

 

相手は風ですよ。

なんとかできるはずもない。

「なんにもしない!」に限ります。

 

でもね、前は真逆のことをしていました。

観念という箱に、感情という風を押し込んで、

どこからきた? だれのせいだ? と問い詰めては、

「このままではいけない!」とイライラしていたんですね。

 

これはまさに、一人二役の〝ザ・ひとり芝居〟(>_<)

 

苦しみは、ひとり芝居の産物なんです。

 

ありのままの自分を受け入れてからは、

ひとり芝居どころか、ひとり反省会もしなくなりました。

 

「えー、反省もしないのぉ?」と思いますか?

ごめんなさい…は言いますよ。

心を込めて。

 

で、おしまい。

 

すぐ今に戻って、

ありのままの自分を愛することに、心を砕きます。 

 

 

もうひとつの「どこへも向かわなくていい」は、

優れた人物になろうとしなくていい、ということ。

 

ゴールを設定して、

今の状態ではダメ!

これじゃ、人から評価されない!

もっとがんばらなくちゃいけない!

と自分に鞭打っていると、どんどん苦しくなります。

 

「どこへも向かわなくていい」という気づきは、

今は、鞭に耐えて走る時間じゃなくて、

今がすでにゴールなんだよ。

ということを教えてくれました。

 

なりたい自分になるために、今があるのではなく、

どこまでいっても今しかないと腹をくくって、

今あるすべてを楽しんでいると、なりたい自分になっていくんです。

 

それからやっと、今にくつろげるようになりました。

 

そしたらなんと、人生から深刻さが消えて、

「お気楽」になり、「ご機嫌さん」になり・・・

 

自分は最初から救われていた。

 

もともとそうだったんだ、と合点がいって、

めちゃくちゃ安心したんです。

 

もちろんあなたも、まったく、そのままで、マルです!!