ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

努力するの、や~めた!

夏休みとか、年の初めとかに、

あなたは〝努力目標〟を掲げたほうですか?

 

私は必ず掲げて、「がんばろう!」と気張ったもんです。

そんな遠い日々のことを懐かしく思い出しました。

 

今はどうか…というと、

「努力しないことが目標です!」 (^^♪ 

なんと、180度変わっちゃいました~。(笑)

 

とは言っても、

人生には〝努力する時代〟があっていいと思いますよ。

成功するぞ!

なりたい自分になるぞ! って励んで、

やりがいを感じ、

挫折を味わい、

立ち直ることを学ぶ時代。

 

人はそういう体験を通して

人の痛みを理解するようになるからです。

 

私はそんな体験をなめ尽くし、

何のために努力するのか?…と自問自答をくり返して、

やっとわかったことがあります。

 

私たちは、今すでに手に入っているものには、

努力する必要は感じない。

今自分にないものを手に入れたくて努力するのだと。

 

つまり、

今自分に必要と感じる「不足しているもの」や「ないもの」があって、

それがあればきっと、もっと、幸せになれるはず、と思うわけです。

 

これを〝未来志向〟と言いますが、

未来志向は「夢に向かってがんばろう!」的なイメージがあるから、

すばらしいことだ、いいことだ、とされています。

現に、私たちは そのように教育されてきました。

 

ところが、意識が覚醒するにつれて、

「自分が幸せに在るために必要なものは、すでに持っている」

「今ここに、必要なものはすべてある」

ということに気づき始めるんですね。

 

そして、小我(エゴ)の欲求に振り回されて生きるより、

大我(本来)の自分で生きることを選択するようになります。

 

なぜなら、今ここにあるものに

満ち足りた気持ちと感謝の心を抱けるかどうかが、

安らいで幸せに生きられるかどうかを決定することが、

身に染みてわかるようになるからです。

 

*ここでいう努力は、苦しくてつらいがんばりのこと。

 ワクワクするがんばりや意気揚々と励むことは、楽しみであって、

 努力には当てはまらない前提です。

 

私は長年「禅」の世界に親しんできましたが、

禅語の言わんとすることが、

この頃ストンと腑に落ちるようになりました。

 

たとえば『無一物中無尽蔵』

 解説としては、人間は無一物が本来の姿なのだから、

 それに徹したとき、逆に一切が無限に出現する自在の境地が開ける。

 何もとらわれがなくなったとき、すべてがありのままに輝く

 和合の世界であったことに気づける。

 

となりますが…

言葉で理解しようとするとむずかしいのは、

言葉を超えた世界を表しているからです。

 

「努力が足りない」とずっと思って生きてきた私は、

一連の禅語が腑に落ちたとき、

「なーんだ、そういうことか」と笑うしかなく、

笑いながら〝努力家の自分〟を返上しました。

 

もし、あなたの中にも〝けな気な努力家の自分〟がいたら、

「よくがんばった、もう休んでいいよ」と言って解放してあげて。

そして、

片ときも離れずにいる〝本来の自分〟に意識を合わせて、

「本来の自分にサインイン」して生きていきましょう!

 

 

さて、ラジオ出演のお知らせです。

 

7月17日(土)の16時から17時まで、

FMレキオ『田中小梅の開運話』にトークバディとして出演します。 

私は小梅ちゃんから毎月第3土曜に呼んでもらっていたんですが、

この素敵な番組が、残念なことに、9月いっぱいで終了するそうです。

 

小梅ちゃんとスタジオにて。ツイキャスでお楽しみくださいね。

  

twitcasting.tv

twitcasting.tv