ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

お花見の巻

名古屋に来ています。

桜、満開!

お花見、大好き!!

 

風に吹かれてハラハラと花びらが舞うのをみると、

もー、たまりませんゎ。

 

そんな風景を詠んだのでしょうか、こんな和歌があります。

 

――世の中に 絶えて桜の なかりせば

  春の心は のどけからまし――

 

(世の中に桜なんてなかったら、

 いつ散ってしまうのか…あぁもう少し…と気をもむこともないのに…)

 

在原業平(ありわらのなりひら)がこの和歌を詠んだのは、

なんと今から1000年前。

日本人って、ちーっとも変わってないんですねぇ。

 

同席した人の返歌が、またいいんですよ。

 

――散ればこそ いとど桜は めでたけれ

  憂き世になにか 久しかるべき―― (詠み人知らず)

 

(散っていくからこそ、桜はすばらしいのです。

 つらい世の中に、永久に変わらないものなどあるでしょうか…)

 

在原業平は、「はかなく美しい桜の命を惜しむ気持ち」を詠み、

その人は、「桜の命は短いからこそ価値がある」と詠みました。

 

その人が詠んだ返歌を、もう一歩踏み込んで解釈すると…

 

(どんなに願っても、形あるものは必ず滅び去っていくのが世の定め。

 だからこそ、今精一杯咲いている桜に、かけがえのない命を感じるのです)

 

となるでしょうか。

私の好きな句に、良寛禅師の一句があります。

 

――散る桜 残る桜も 散る桜――

 

(散っていく桜を見ている桜の花も、いずれは散る定めなんだよ)

 

桜の花が一つ残らず散ってしまうように、

いつかは、私たちがこの世を去ることは決まっています。

生に限りがあることを深く自覚して、

今この瞬間を、大切に生きていきましょう。

 

良寛さんは、そんなことを伝えたかったのではないでしょうかね。

 

お花見をしながら、

平安時代歌人に思いをはせたり、

江戸時代の禅僧に思いをはせたり・・・


うららかな春の日に、

つれづれなるままに。。。。(^^)/