ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

人間スーツ

美容院に行ってきました。

バサバサと切り落とされて足元に散った髪の毛を、

なんとなく見ていて、ふと思ったこと。

 

「これはまだ私の髪? すでにお店のゴミ?」

 

数分前まで、私の一部として私を形どっていたけど、

あーぁ、掃除されちゃった・・・

 

と、そこにコーヒーが運ばれてきました。

ゴクンとひと口。

 

カップに残っているのはお店のコーヒーで、

胃に入ったコーヒーは、すでに私の水分。

 

そんなことを言いだしたら、

今吸った空気はだれのものだ、

この肺に入っているのは私の空気だ、

ということになりますよね。

 

何が言いたのかというと、

「私は危うい存在。あってないようなもの」

ということなんです。

 

私ってなんなの?と聞かれたら、

体ではないと思う、と答える人は多いでしょう。

 

じゃ心?と聞かれたら、

思考や感情は、空気と同じくらい出入りが激しいから、

心こそが私、と断定するのはちょっと・・・

 

そこに自我が登場して、目の色変えて主張します。

「私は、私の価値観で動いている!」

 

では、価値観は、絶対的なものでしょうか。

「価値観=思考の束=観念そのもの」

これも、吸ったり吐いたりする空気と変わらない、

うたかたのものなんです。

 

自我の仕事は、

このうたかたのものを「私!」と信じ込ませることなんですね。

 存在のパワーを強めたいんです。

 

自我を悪者扱いしているわけではありませんが、

自我を私と勘違いすると、

安心するな、まだ足りない、とはやし立てられて、

心は休まらないようになっています。

 

体と心と自我は、ワンセット。

この3セットは、この世を生きる“人間スーツ”に含まれている

借り物なんです。

 

この世を楽しむための幻のツールだから、

実体がない。

この世を去るときには、全部返却します。

 

ということは、

このセットを借りたのは、いったいだれ?

ということになりませんか。

 

それが私であり、あなたであり、彼であり、彼女です。

 

それをまとめて、というか、

借り主も貸し主も、もともとひとつだから、

ここでは “本来のワタシ”と呼んでいるんですね。

 

呼び方は「本来の自分」でも「ソレ」でもいいんですが…

実体は、「神聖な意識/エネルギー」です。

 

その “本来のワタシ”が、

いろんなタイプの人間を体験しながら進化しています。

 

その現れの一人が、今のあなたなのです。

髪を切っても平気なように、心や体が傷ついても、

本来のあなたは何も損なうものがない存在なんですよ。

 

人間スーツを自分と勘違いせず、3セットを余裕で活用して、

たった一度のこの人生を、思いっきり楽しみましょう!