もしも名前がなかったら…
もしもピアノがなかったら・・・(-_-♪
人生が変わる人がいるかもしれないように、
もしも名前がなかったら、
まわりへの反応が変わるかもしれません。。。
朝、ベッドの中で「ザー」という音が聞こえた。
「あ、雨!」とその名を呼んだ。
「やだなあ、満員電車」と暗い気持ちになった。
夕方、帰り道で「カー」という音が耳に入った。
「あ、カラス!」とその名を呼んだ。
「フン落ちてこないかなぁ」と心配になった。
無意識に、こんなふうに反応していないでしょうか?
「ザー」→「満員電車で不快な思いをさせられる雨」
「カー」→「フン公害をまき散らす嫌われもののカラス」
これ、ぜんぶ観念です。
五感に飛び込んでくる刺激を名指しして、
わざわざ不愉快になる観念を引き出して、
その通り、不愉快になる・・・
ということを、
私たちは、たった1秒でやってのけます。
ハッピーな観念ならまだしも、
たいては、不安や不審や警戒にまつわるものが多いので、
起きているあいだじゅう続けていたら、
もうそれだけで、心が疲れてしまうんですね。
そこで提案です。
「ザー」を「ザー」のままにしておく。
「カー」は、ただ「カー」、ああだこうだと考えるのはナシ。
これは、観念を持ち出さない練習です。
「ザー」と聞こえたら、「ザー」と言って、おわる。
「カー」は、「カー」だけ。
「ミーン、ミーン」も、「ピポー、ピポー」も、そのまま。
いちいち思考を持ち込まないと、何が起きるのか・・・
ぜひ試してみてください。
私は、最初、ものの名前やイメージが、
あまりにも瞬間的に飛び出すことにおどろきました。
まあ、それだけ観念、思い込みが強かったんですヮ。
でも、気長に、ゲーム感覚で続けるうち、
心配や疑いといった、望まない考えを振り払うこと、
「カット!」と言って、遮ることができるようになりました。
こうなるとラクですよ。
それまで簡単に陥っていた不愉快になるルートから、
自らを解放できるからです。
また、
いちいち名前で判断しないと、
それだけ先入観を取り込まないので、
今あるものを、今あるがままに、見られようになるんですね。
そうか…と思った私は、やりました、やりました。
自分自身から、名前を取る!
次いで、肩書きも、性別も、年齢も、取る!
さらに、役割も、歴史も、未来も、取る!
あー、すっきり。
私は、なんでもなくなりました。
私なんて、いないじゃないの。
これが、よく耳にする「私はいない」の真相です。