ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

探究がやむとき

正解を求めて、右往左往・・・

「そんな探究は、もうおしまい!」と言うのは簡単ですが、

まじめで向上心が強い人ほど、

実践するのはハードだと思います。 

 

ひたすら上昇志向でがんばってきた自分に、

「探究はおしまい。もう上を目指さなくていい」と言えば、

「いいわけないじゃん!」

という自我の声がはね返ってくるでしょう。

 

自我の持ち味は「欠乏感」と「不安」です。

それが「まだ足りない」「安心できない」という思考を生み、

「だったら探究しなよ!」とあおるんですね。

 

どんなにあおられても、けして乗ってはいけません。

 

乗れば、当然のように心がかき乱されて

「今・ここ」に集中できなくなります。

そして、

ずっとたどり着きたいと思っていた「自分の源」から

目を離すことになるからです。

 

探究したい気持ちの背景に、

根深い「欠乏感」と「不安」があるのは、

あなたのせいではありません。

 

幼いときから、 「できたから偉い」とほめられるうち、

「できないと不十分で認めてもらえない」と不安を覚え、 

大人になって、できない体験をするたびに、

「こんな自分じゃ価値がない・・・」

と自分を見下すようになったんですね。

 

自分に価値がないなんて、幻想ですよ!

 

真実は、

自分が生きていることに、完璧な価値がある!

 

探究がやんだとき、

“本来のワタシ”が、それを証明してくれるでしょう。

 

 

探究がやまなくて四苦八苦している人には、

強制執行」が用意されることも。。。

大病、人間関係の破綻、失業、借金地獄などがそう。

 

私たちは苦しみが限界に達すると、

「もう何も考えられない。これが現実なら受け入れよう…」

とようやく抵抗するのをやめて、降参します。

 

そこに、神の恩寵として、大いなる気づきが訪れるのです。

 

私の覚醒体験は、2回ともそれでした。

頭がまっ白状態のとき、 “本来のワタシ”に遭ったのです。

 

 

あなたは、自分の価値をどうか見くびらないでください。

 

苦しいことがあるなら、

いっさいの抵抗と、探求をギブアップして、

苦の体験に身を投じてみませんか?

 

完全に、自分を明け渡すことができたら、

きっと何か…が起きるでしょう。