ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

温泉饅頭

夜明け前、まどろみの中でポッと浮かんだもの。

温泉饅頭・・・

食べたいとか、大好きとかじゃなくて、

なーるほど・・・

 

たぶん、私がどう言えばいいかと戸惑っていたから、

本来のワタシがヒントをくれたのでしょう。(^▽^;)

 

ひとりひとりを温泉饅頭にたとえれば…という話。

さあ、あなたも温泉饅頭になり切ってみて。

 

あなたという饅頭をうっすらとおおっている薄皮、それが自我。

 自我は、世間という外の世界とまみえるための防護服のようなものです。

薄皮の内側にあるふっくらとした皮が、無意識で、

その内側にデーンとある黒あんが、 “本来のワタシ”。

 

悲しいかな、温泉饅頭まるまる一個が自分だというのに、

私たちは自我が芽生えると、ペラペラの薄皮一枚を

「これが私!」と勘違いしてしまうんですね。

 

薄皮は、自分自身である自我を守ることにやっきになります。

いつも戦々恐々として、多くのことを恐れ、

恐れが無意識にまで及ぶと将来に漠然とした不安を覚えるようになり、

その不安を打ち消そうとして、お金や、人の評価や、人の温もりを得るために、

どんなに苦しくてもがんばり続けるようになるんです。

 

もし、あなたが、これが人生だと思い込んで一生を過ごすとしたら、

まだメインの黒あんを満喫していないんですよ。

じつに、もったいないと思いませんか?

 

黒あんこそが、本来のアナタ! 

叡智と愛のかたまりなんです。

それは、片時もあなたを離れたことはありません。

温泉饅頭ができた、つまりあなたが誕生したときから、

ずっとあなたの真ん中に鎮座しています。

 

あなたはときどき、その存在を感じていたはず。

ふっと、やさしさがわいて、人に「こうしてあげたいな」と思ったことや、

「こうすればいいんだ!」とひらめいたこと、あったでしょう?

でも、すぐに自我が「その必要はない」とか、「それはムリ」と主張したから、

結局やめちゃった・・・とかね。

 

覚醒とは、

「自分の本質は、薄皮じゃなくて、黒あんだった――!」と、

明確に気づくことなんです。

ゆるぎない真実に触れて、心の底から安心することなんです。

 

黒あんからあふれる愛は、自我が抱える不安を洗い流してくれるので、

もう絶対に失いたくないと思います。

実際、二度と見失うことはありません。

その後は、自我がひょいと顔を出しても「おいおい、その辺にしておきな」となだめて、意識を簡単に黒あんに戻せるようになるでしょう。

 

まるごとかぶりつけば、黒あんの甘味がたちまち口中に広がり、

薄皮はその味に溶けて一体となって、もう問題を起こすことはなくなります。

さらにうれしいことには、

ほかの人の薄皮も、さして気にならなくなるのです。

ああ、薄皮を自分だと勘違いしてるんだな、ってわかるから。

 

たとえ、あなたの覚醒体験がまだだとしても、

それは然るべきときにやってくるから、心配しないで。

自分は、薄皮を含む温泉饅頭全体だと知っているのは、すごいことです。

きっと、以前のように自我に振り回されなくなるでしょう。

 

これからは、

ふっと、わいたやさしさを、引っ込めないでくださいね。

考えない、考えない・・・

黒あん、黒あん・・・