ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

ひとかどの人物

この歳になったからでしょうか・・・しみじみ思います。

 

どうしてあんなにあがいて、

「ひとかどの人物」になろうとしたんだろう…って。

  

今思えば、

私は「成果」をあげるために生きてるわけじゃないのに、

何らかの成果をあげなくては「存在価値」がないという、

間違った思い込みをしていたんですね。

 

それが、全体からの分離感を生み、

ライバル意識やジェラシーを増幅させ、

「私はまだまだだ」

「~ねばならない」という気持ちを駆り立てました。

 

それって、エンドレスだから、

不安と恐怖と焦りが消えることはありませんでした。

 

あー思い出すだけで…うっ…胸が苦しくなる…(笑)

 

 

この世界は、

それぞれの人が、対等に、

自分の体験したい世界を創って、体験しているだけ。

 

 それなのに私ったら、

 人は私をほめてくれるためにいるわけじゃないのに、

 私のことをもっと理解してほしいとか、

 私のいうことを聞いてほしいと悩みまくってたなって思います。

 

そして、

 

すべての人は、平等に、

自分が体験したいことを終えた段階で、

肉体を離れます。

 

自分は、この肉体でも、この感情でもなく、

それらをすっぽり包み込む「魂」だと実感したとき、

魂の計画通りに人生は展開し、終焉することを知りました。

 

この世は、

それぞれの魂が、宇宙からきて宇宙に還っていく間に、

好きなテーマで、人生というものを存分に体験するテーマパークなんです!

 

魂は、人間の頭では理解に苦しむような計画を立ててきます。

 

たとえば、

自由にあこがれ、自由を求める気持ちを理解したいから、

「どうしようもない不自由を強いられる人生」を設定しよう。とか

 

えーっ!って思いますよね。

 

あるいは、無条件の愛について学びたいから、

「条件付きでしか愛してくれない両親」を選ぼう。とか

 

そうやって、

だましたり、だまされたり、

愛したり、憎んだり、、、

 

二極の世界で、

「不自由」「不足感」「不条理」などをたっぷり味わって、

真の自由や喜び、愛や幸せに目覚めていく仕組みです。

 

 

「もともと、いいも悪いもなかったんだ!」と思ったら、

私は俄然おもしろくなりました。

 

で、魂に尋ねたんです。

 

何度も何度も地球に転生して、

その転生に「あがり」があるなら、 

最後の人生では何をしたいの? って。

 

そしたら、

「全体意識に目覚めて、この世を生きる」

と、言ったような気がして。

 

うーん、わかるような、わからないような・・・

 

まあ、そんな反応をすることじたい、

「道半ば」ということなのでしょうネ。(^▽^;) 

 

今世、生きているうちに間に合わせたい!!