ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

小さなことは、大きなことの表れ

今年を振り返ると、激動の年でした!

ま、やっとこさ長野に建てた″終の棲家”を、

あえて売り払って沖縄に移ってきたんですから、

それだけで十分、人生に″激震”が走ったわけです。

 

そんな派手なことをしでかしておいてなんですが、

ここにきて感じることは、

「人生で大事なことは、小さなことだ」ということ。

 

ちょっとした笑い、

ささやかな興奮、

いいねぇ!という共感。

 

こうした日常の、どうということのない小さな快感に、

大きな価値を感じている私が今います。 

 

なぜなら、

私は長いあいだ、デカいことを成し遂げるのが立派な人で、

自分もデカいことができるようにがんばらなくちゃ、と思っていたから。

 

思っていたというよりは、

まわりの価値観に洗脳されていたのかもしれません。

 

そのことに気づいてから、

デカい夢や目標を抱くのはいいことでも、

その反動で、日常の小さなことをないがしろにしたり、

当たり前にやっていることを無意味に思うのは、おかしいよねー。

 

と、頭ではわかっていたんです。

 

でも実際は、いくら頭でわかっていても、

日常の小さなことにわき立つような価値を見出せなくて、

もっと価値を感じられるものはないかと探し回っていました。

 

ようは、日常を犠牲にしてでも、デカいことをしたい!

そう思っていたんですね。

 

 

それが沖縄にきて、、、

 

毎朝、目の前に広がる海に手を合わせ、

自分を受け入れてくれた土地の神様に感謝して、

生かされていることを心底ありがたいと思いました。

 

そして、出会った人と食事をし、語り合い、笑い合う・・・

そんな今に、ゆったりとくつろげるようになったら、

 

小さなことが、全体につながっている。

自分のいるところは、いつでも神聖な場所なんだ。

ということが…

理屈ではなく、実感できるようになったんです。

 

別の表現をすると、

 

自分は…

すべてのものは…

大いなるイノチの表れ…ということに感動したんですね。

 

その感動は、

さざ波が押し寄せるように、私の深い部分に浸透していきました。

 

以来、鳥のさえずりも、

工事のトッテンカンという音も、

朝晩、鳴り響く町内アナウンスの声も、

ぜーんぶ、なにもかも、大いなるイノチの表れなんだなぁ…

と感じるようになりました。

 

すると、何事を見聞きしても、ふふっと笑いがこみあげます。

 

この一年を振り返ると、

そんな自分の変化が、沖縄移住よりも大きな出来事でした。(笑)

 

そういえば、

このブログをはじめたのも今年でしたね。

不定期にもかかわらず、いつも読んでくれてありがとう! (*^-^*)/