ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

きびしい目標はいらないかも

沖縄に移り住んで3カ月半。

新たな出会いがたくさんありました。

みんなけなげに生きていて…

みんな霊性を高めることに一生懸命で…

 

ああ、私はこの人たちと出会うために沖縄へ来たのかな…

と思うくらい、なんだか魂の仲間に出会ったような気がします。

 

人生が楽しくなるか、楽しくなくなるかって、

出会いに大きく左右されますよね。

  

もちろん、人生に何が起きても、

何を感じるかは自分の内面が決めることだけど、

ふわーっと喜びをわき立たせてくれる人と一緒にいると、

やっぱり素直にうれしい!

 

それは、

いい刺激であると同時に、大きなやすらぎになります。 

 

 

で、ふと思ったんです。

 

魅力的な人たちは、イキイキと自分の夢を生きています。

でもそこに゛必死でゴールを目指す悲壮感゛めいたものはない。

むしろ゛今という夢の過程を楽しんでいる゛ように見える。

 

それこそ、

いつ死んでも笑って死ねるだろうな、、、という雰囲気なんです。

 

かつての私は、

仕事でも、学びでも、悟ることに関しても、

目標を立てるのが大好きでした。

 

立派な目標を立てることで安心し、

それがきびしければきびしいほど張り切る反面、

まだとてもたどり着けそうもない自分に、

ヤキモキ、イジイジして劣等感を覚えました。

 

そんなふうにして何十年も過ごしてきて、

今になってつくづく思うのは、

「人生にゴールはない。あるのは過程だけ!」ということ。

 

別になげいているわけじゃありませんよ、逆、逆。

ゴールがなく、過程/途上しかない。

ということは、

「途上に見える今がすでにゴールなんだ」と気づいたんです。

 

仕事も、学びも、悟りも、

私がきびしい目標に向かって突っ走ったのは、

ああなって、こうなって、と物理的なものを手に入れ、

とどのつまり(ゴール)は「幸せになりたい」からでした。

 

けれど、禅の師匠から、

幸せになりたいと思う今がすでにゴールだと諭されて、

今という瞬間に心を置くようにしたら、

そこが「幸せの着地点」だったとわかったのです。

 

 

幸せの着地点を体験するのは、思っているより簡単です。

ためしに、

食事をするとき、目をつむって口の中だけに意識を集中してみて。

 

食品の値段とか、評判とか、全部無視!

外部の音にも気をとられないようにしてね。

そして、

口の中でそれがかみ砕かれ、唾液と交じり、舌が味をとらえ、

のどの奥に送り込まれる・・・その瞬間、瞬間に心を置きます。

 

それが「今に在る」ということ。

そのあいだ、頭の中はスッキリしているはずです。

 

私たちは、本当はそんなふうに生きることもできるんです。

過去を思いわずらい、未来におびえて生きなくても、

今に心を置いて、やすらかに過ごすこともできるんですね。

 

  このブログにも【探究の終焉】というカテゴリーを設けて、

  探し求める心について書いてきました。

  それはつまり、幻想を追いかける心だから。

  自分にダメ出しばかりする心だから。

  そのことに気づいて「今に在ろう」と。。。

 

私たちはみんな、人間スーツを着て、

゛この世の夢を追いかける遊び゛のまっ最中なんです。

夢はエンドレス、スーツを脱ぐまで次から次へと現れます。

(現にお年寄りは、ラクに死ぬのが夢とおっしゃる)

 

だからこそ、

自分の好きな夢を抱き、その夢を追いかけて、

途上の「今」を 100%楽しみましょうよ!

 

そうして今を生きることに 100%価値を見出したら、

いつでも笑って人生の幕を下ろせると思います。

 

追いかけている夢が道半ばで終わっても、

その今が、幸せなゴールなのだ~~ってね。

 

私はそんな生き方がいいな。(*^-^*)/