ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

今見えているままを、そのまま見る。

沖縄へきて初めての秋。

昨日、今日と雨でしのぎやすい。

最高で22度くらい。

こっちの人は「肌寒い」と言う。

明日はまた夏日に戻ってしばらく続くそうな。。。

 

 昨日よりどうだとか、例年よりどうだとか…

気候に限らず、私たちは何でも、

「比較する」ことで自分や物事の状態を認識します。

 

モノの値段だって、人の好感度だって、自分のデキだって…

私はあの人と比べてここが勝っているとか、劣っているとか、

いつも比較して「いい・悪い」を判断しますよね。 

 

人間という生きものは、

人の目を通して、自分自身を知ると言われますし、

相対的な世界に暮らしている以上、

何かと何かを比べるのは当たり前、やむを得ないことなのかもしれません。

 

でもね、

比べればわかるんだからいいじゃん、と思ってしまうと、

相対的にしか物事を見ない自分で、ずーっと生きていくことになります。

 

それってもったいないな、と思うんですよ。

 

絶対的なものが存在するのに、それを知らずに死んでいくなんて。

その絶対的な世界に、本来の自分がいるというのに・・・

その絶対的な世界に、魂は帰還するというのに・・・

 

絶対世界は認識できない、と思っている人にはむずかしいだけで、

少しも不可能なことではありません。

そこに意識を向け続ければ、必ず何らかの「気づき」が訪れて、

感覚でわかるようになっているからです。

 

だって、もともと自分がいたところなんですもの。

 

そのとき、

物事を比べることにまるで意味がないことを実感するでしょう。

そして、

自分という人間は、この相対的な世界で唯一のキャラなんだ。

このキャラには、オワリがあるけど、

今世このキャラを生きたイノチは、永遠に在り続ける…

…ということを叡智として知るんですね。

 

私たちはみんな、

「今の自分」というキャラを体験中なんです。

比べて落ち込むのも、悲惨な気分になるのもOKですが、

それは〝怖いもの見たさ〟を楽しむつもりならば。。。

 

もし、そんなことは望んでいないなら、

「今の自分」をそれ以外のモノと比べるのはやめましょう。

自分とそれ以外のモノすべて・・・

大元をたどれば、そこにあるのは「ひとつのイノチ」だけなのです。

 

この絶対世界の真実を、一度でも垣間見たら、

比較して心を悩ませるより、

今しかない、今しか触れ合えない事柄に心を燃やしたい!

 

目の前にいる人や自分の〝イノチの表現〟を、

ただあるがままに受け止めよう、すべて受け容れよう!

と思うはず。

  

自分をほかの人や過去の自分と比べないと、

芋ずる式に浮上する劣等感・後悔・屈辱感におそわれなくてすむので、

本当にストレスが激減します。

  

これが安楽のはじまり。

安楽は、宇宙の在り方そのものです。

 

宇宙的な人って、今見えているままを、そのまま見て、

いっさい「比べない」人のことなんです。(*^^)v