ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

物忘れ、過去忘れ

最近、物忘れがひどい。

あ、認知症じゃないですよ。(笑)

 

ただ、過ぎたことを上手に思い出せない。

特に、過去になめたイヤな感情は出てこないし、

絞り出してもまったく生々しさがない。

 

これは、精神的にはとてもラクなんですが、

ああだったよねぇ…と同意を求められても

あやふやな返事しかできなくて・・・

 

自分の過去なのに、

知人の体験を話しているような感覚なんです。

 

で、話しながら、

「私、こんなストーリーを一生懸命生きてたんだなぁ…」と

なつかしく感じたり、

「あのときはまるでわかってなかったんだよね」と

自分に同情する始末。

 

 

もしかしたら、

ボーッとすることを自分に奨励しすぎて、

記憶喪失気味?と案じなくもないんですが、

そこはもう少し前向きに考えることにして、、、

 

「今」に生きることが、それだけ上手になったのかも!

と思うんですね。

 

「今」に心を置いていると、

今、今、今…と、たえず今が更新されていくので、

過去の感情を持ち続けるのはむずかしくなります。

 

記憶がみるみる上書きされていく感じで、

ついさっきのことも、その場を離れたらまた上書きされて、

最新の「今」しか心になくなってしまう…

 

ましてや何年も前の記憶は

せーの、と掘り起こさないことには出てきません。

 

 

 

でもねー、

以前はまったく違いました。

 

イヤな感情をよみがえらせるような”呼び水”があると、

あっというまに心は「今」から離れ、

あのときは…あいつは…私は…と過去にタイムスリップ。

 

そんなことをしてなんになるのかというと、

なんにもならないんです。

それどころか、忘れたいのに忘れられない記憶にしばられて、

つらいだけ。 

目の前の「今」をめいっぱい楽しむこともできません。

 

そんな自分に嫌気が差して、

「今」に生きる! と一念発起。 

「今」に心を置くことを猛烈に意識して、真剣に挑みました。

 

ふとイヤな感情がよみがえったときは、

その情景を、あたかも車窓から景色を眺めるように、

黙って素通りさせてしまうんです。

 

とらわれないということは、”続き”を考えないということだから。

 

そうしてすぐ「今」に戻ることをやり続けるうち、

少しずつ、イヤな感情をやり過ごす要領がわかってきました。

 

 

すべての感情は、思考によって引き出されます。

ある考えを持っているから、そういう気持ちになるわけです。

つまり、

感情をうまくやり過ごせたときというのは、

それにまつわる思考を葬ることができたときなんです。

 

私はあまりにもたくさん、幸せの役に立たない思考を葬ってきたから、

ちょっと記憶喪失気味なのかもしれませんが…(^▽^;)

 

まあ、そのくらい、人間は無意識でいると、

いらない思考に明け暮れてしまうものなのでしょう。

 

「今」に心を置けるようになると、

不思議なことに、人生から”問題”がどんどん減っていきます。

 

なぜなら、 何かを問題視して思考をふくらませるには、

「今」という時間は短すぎるから。

 

その短い「今」には、

その瞬間にしか存在できない感覚が刻まれていきます。

それが”感動”です。

 

感動は「今」にいるときしか味わえない感覚。

記憶に組み込まれたとたん、色あせてしまうものなんですね。

 

 

そんな貴重な感動を取りこぼさない体質になっていくなら、

物忘れが進んでいるような気がしても、

よしとしようではありませんか。

 

そうそう、いい話を思い出しました。

「1日10回以上感動する人はボケない」らしい。

シメシメ…(*^^)v