ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

「私らしさ」はいらない

「私らしく生きたい!」

ずっと、そう思っていました。

 

 胸の奥では、

「私らしさってなんなんだろう?」

と戸惑いながら・・・

 

 

子どものころは、

「~してはダメ」としょっちゅう叱られて、

自分の好きに振る舞えなかったら、

好きに振る舞うことにあこがれました。

 

大人になり、

どのように振る舞ってもいい立場になったら、

急に人の目が怖くなって、

自分がどう映るかを気にするようになりました。

  

「いい人でいたら、まわりから好かれるかな?」

「できる自分を見せれば、認めてもらえるかな?」

「ピエロになって笑わせたら、人気者になれるかな?」・・・

 

理想の自分を目指すうち、

「怒ってはいけない」「もっと優秀にならなくちゃ」などなど、

いろんな観念で頭の中がいっぱいになりました。

 

心の中はというと、

 これって、本当に私らしいの?

 ちがう。だって、しんどいもん。

 本当に私らしく生きられたら、

 絶対苦しくないはず! もっと楽しいはず!

 

心は一生懸命、SOSを送っていたんですね。

それを無視して・・・心が悲鳴を上げて・・・ついにパンクして・・・

大切なことに気づかされたのです。

 

 人が「あなたらしい」と支持することは、

 あくまでもその人の見方と意見だから、

 期待に応えようとすると、しんどくなるよ。

 

 自分が「私らしい」と掲げたことは、

 観念が作り上げた理想の自分だから、

 とらわれると、心が自由でなくなるよ。

 

 「私らしさ」なんて、いらないんだってば! 

 

そんな心の声にしたがって、

私は「自己イメージ」をかなぐり捨て、

「ありのまま」の自分でいる!と心に決めました。

 

とはいっても、

「~であるべき」という長年の思考癖はしぶとく、

今の自分をすぐ否定しようとします。

 

そのたびに「ありのままの自分でOK!」と思い直すうちに、

弱音を吐こうが、どんくさかろうが、

偽らない素の自分がいとしくなっていき・・・

 

自分を愛するって、こんなに自然なことだったんだと発見!

 

心がパンクしたとき、

ホントしょうもない私でしたが、

それでも愛されている…無条件で愛されている…

と知って、前を向くことができたんですね。

 

だれから? と思うでしょう。

宇宙からです。 神からです。 本来のワタシ からです。 

 

あなたも、私も、すべての人が等しく、

無条件の愛によって生かされているんですよ。 

 

「そんなこと信じられない!」と反発しても、

大丈夫、まるっと愛されています。

 

無条件の愛を感じたとき、こんな思いが胸をよぎりました。

 「私らしさ」にこだわるのも自由。

 「ありのまま」を選ぶのも自由。

  だから常に問いかけなさい。

 「どんな私を体験したいのか?」と。

 

浮かんだ答えは・・・「自分を自然に愛せる私」でした。

 

今は気軽に、ニューバージョンで問いかけます。

「どの私でいく?」 (*^^)v