ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

夢のまた夢

「もうダメだ、間に合いっこない!」

「助けて~~! これ以上走れない…」

「あっ、崖だ! 落ちるぅ~~!!」

 

そこでハッと目が覚めた。

 

「なーんだ、夢だったのか…よかったぁ」

 

私は若いとき、何度こんな体験をしたことか・・・

たとえ、崖から落ちても、ナイフで刺されても、

夢の中の出来事ならば、身も心も無傷です。

 

あなたも、夢だったと気づいて安心したこと、ありませんか?

 

もしも――

 

あなたが「まさに現実」と思っているこの今が、

じつは「夢の中」だとしたら、どう思います?

夢を見ていることに自分が気づいていないだけだったら・・・?

 

 

私たち人間の状態は4つある、と言われます。

① 熟睡している。

② 眠って夢を見ている。

③ 起きて夢を見ている。

④ 夢を夢と見抜いている。(覚醒している)

 

無意識に①から③を行き来しつつ、

普通は③を「リアルに現実を生きている」と錯覚しています。

 

釈尊は、「夢から目覚めよ」と説きました。

現実は実体のない夢だから、何にも執着するな。

それらはすべて幻である…と。

 

④の状態になれば、苦しみから解放されると教えたのです。

 

 

私自身のささやかな目覚めの体験を振り返ってみると、

そこで見抜いたことといえば・・・

現実は、あるといえばある、ないといえばない。

私は、いるといえばいる、いないといえばいない。

 

とまあ、わけのわからない表現になって恐縮ですが…(-_-;)

 

以前より苦しまなくなったことは確かです。

すべてが、執着ではなく楽しみに置き換わったんですね。

そして、たとえその楽しみが消えても、

極端な話、楽しみにしていた私自体が消えても、

もともとないものだからOKなんです。

 

覚醒体験といっても、過ぎれば単なる記憶の1ページ。

ですから、その後はこれまで同様、

ほかの人と同じように日常生活を送っています。

好き嫌いも、うれしいも悲しいも、まったく変わりません。

 

ただ、そのときの感覚を覚えておこうとする自分がいるから、

何事にもとらわれなくなったんだと思います。

 

たとえ、心身が深く傷つくような目に遭っても、 

夢ならば、本来のワタシが損なわれることはありませんから。

 

夢だからこそ、どんなことにも深刻になる必要がないんです。

真剣に、心から楽しんで、腹の底から笑って、

夢のまた夢を追いかけて過ごしたい、と思っています。

 

 

今日の話を頭で理解しようとすると、???かもしれませんが、

「そっか、何事も深刻にならなくていいんだ」

「ぜんぶ、執着しないで流しちゃえばいいんだ」

そんなふうに考えてもらえたら、うれしいです。(*^^)☆