ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

この世は「過程」を楽しむところ

私たちは、自分の欲求を満たすために生きています。

 

「あれが食べたい」という気持ちを満たそうと、お店に足を運び、

「あれを手に入れたい」という思いを叶えるために、お金を貯め、

「将来はこうなりたい」という夢の実現を目指して、がんばります。

 

そうやって欲求をひとつ、またひとつと満たすことで、

ちょっと満足して、うたかたの喜びや安らぎを得ているんですね。

 

「認められたい」「成功したい」「結婚したい」・・・

程度の差こそあれ、全部そのためだよなぁ…と思ったとき、

私はあることに気づきました。

 

この世には絶対的な喜びや安らぎはない。

諸行無常

永遠に変わらないものなど、3次元にはもともと存在しないから。

 

それがあるのは、自分を超えた次元だけ・・・

 

ということは、

「この世という物質次元は、過程を楽しむところなんだ!」

と思ったんです。

 

「目標を立てて何かを手に入れる」ことを目指すと、

(私もずっとそうやって生きてきましたが)

手に入れるまで、みじめさや焦りやむなしさがついて回ったり、

忍耐が続いたりして、うつうつとしてきますよね。

 

そうではなく、

「発案から、手に入れるまでの過程を楽しむ」ことを、

最初からゴールにしちゃうんです。

 

結果が、ゴールじゃない。

結果自体は、問題じゃない。

むしろ結果は、次の過程(楽しむためにある)のスタート!

 

そう割り切ったら、

うまくいかなかったらどうしよう…と結果にビビる気持ちが失せて、

なんでもやってみようという勇気がわいてきました。

 

自分はなんて欲深いんだろう…と手を焼いていた終わりのない欲求が、

「過程を楽しむための材料」に変わって、

成し遂げなくてはいけないと思うしんどさが消えました。

 

すると・・・

 

自分の人生が、いつどういう状態でタイムオーバーになっても、

はた目には、中途半端に映っても、あと少しに見えても、

「これで私は人生を愉快に生き切れる!」

という自信みたいなものがわいてきたんです。

 

物質次元は、ワクワクしながら過程を楽しむところ。

楽しんだ材料や楽しんだ事柄は、体とともにすべて置いていく。

 

突然の沖縄移住は、たぶんこんな気持ちから生まれたんだと思います。(^▽^;)