ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

座右の銘

生きることは、いろいろな物事とめぐり会うこと。

「言葉」もそのひとつですね。

 

自分の心にめちゃくちゃ響いた言葉に会うと、

「よし、これを “座右の銘”にしよう!」と思います。

 

そのとき心に沁みた言葉は、そのときの心情をバッチリ反映します。

 だから、

自分の成長にともなって、魅かれる言葉が変わったり、

また同じ言葉でも、解釈が深まることがあるんです。

 

私がこれまでの人生で、座右の銘としてきた言葉は、

もう笑っちゃうくらい、見事にそのときの精神状態を物語っています。

 

 

20代・30代は、「克己」でした。

 

 「自分の弱さ、汚さ、甘えに打ち勝て!」

  今振り返っても、「おー、疲れますこと。よくがんばった」と思います。

  これを、壁に貼っていたんですからねぇ。

  自分は弱くて汚くて甘い人間、と宣言していたようなものです。(-_-;) 

 

 

40代は、「自灯明」でした。

 

 「自分を頼り(灯り)として、先の見えない暗闇のような人生を歩いていきなさい」

  という意味の禅語。

  離婚直後の身としては、「人に寄りかかるような生き方をするべきではない」

  ととらえて、無性に心惹かれたわけです。

 

  でも…自灯明には、もっとすごく深ーい意味があったんですね。

 「自分の内側にすべて(悟り)がある。それを拠り所とせよ」という。。。

 

 

50代は、「脱苦」でした。

 

 「苦しみから抜け出せ! 自我を滅することがゴールだ~!」

  50歳で再婚、田舎暮らしをはじめ、本も書き、はたから見れば順風満帆、

  …だったんですが、ブログにも書いたように、

  脱苦を座右の銘にするほど、迷路にはまっていたんですゎ・・・トホホ

 

 「苦しみは、喜びを実感するための必須アイテム!」と言うこともできますが、

  そもそも人間は、たとえ恵まれた環境におかれても、

  それなりに苦しみを見出し、いつか超えることを夢見て生きていく…

  そんな生き物なのかもしれませんね。

  この習性は、「人生という夢から目を覚ます」まで続きます。

  

 

そして60代は、「自然法爾」 (じねんほうに、と読みます)

 

  自然に、水がそこしかないというところに流れていくように、

  もとより、おのずから、しからしむる・・・

 「あるがままにありながら、なるがままになる」という意味です。

 

  私は、長年自らを縛っていた観念から解放されたとき、

 「ありのままの自分で、天に自分を明け渡して生きる!」

  道はこれしかない、と理解しました。

 『ありのまま、なるがまま』というブログのタイトルは、まさにこれなんです。

 

 

さて、「たかが言葉、されど言葉」という表現がありますね。

 

言葉は、思考の産物、伝達の道具です。

したがって、

思考を超えた世界に重きを置いて、“本来のワタシ”を生きようとするなら、

その意味では・・・たかが言葉。

 

でも、

言葉は、使い手によって「言霊」というパワーを宿すことができる。

それで物事を引き寄せたり、思いを伝えたりできるんです。

その意味では・・・されど言葉。

 

平和で、心地よい方向に、心を誘ってくれる言葉を見つけましょう。

 

たとえば、自分を信じて進む勇気をくれたり、

自分はひとりぼっちではないと感じさせてくれたり、

人生はちゃんとうまくいくから心配ないと背中を押してくれる・・・

 

そんな言葉を、ぜひあなたの “座右の銘” にしてくださいね。