ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

最初の覚醒体験 その1

自分で死ぬって、死んでやる!というガッツがいるんだなぁ・・・

知らなかった。

 

もう3日になる。

カーテンも開けず、

ごみくずみたいに部屋のすみにうずくまって、

抜け殻みたいになった体と、絶望をかみしめている・・・

 

涙は枯れ果て、考えることにも疲れ切った。

私はどうなってしまうんだろう・・・?

 

でも、

死ねないなら、生きるしかない。

食べ物を買いにいこう・・・

 

 

 子どもがいないからこそできることは何か。

 住みたい国に住むことだと話し合って、夫はタイに、

 私は当時暮らしていたオーストラリアと日本を行き来する。

 そんな生活をして迎えた、結婚13年目。

 夫が電話で、現地妻と子どもが二人いると告白。

  長女は3歳という・・・

 4年間も騙されていたおバカな私は、ヘラヘラ笑うしかなかった。

 煮えたぎる腹の中では、

 別れて、幸せになって、見返してやる!と思ったものの、

 ショックで子宮筋腫が悪化、全摘手術を受けることに。

 

 もう子どもを産めなくなる、もう幸せな結婚なんて望めない・・・

 手術のために番組を降板する、仕事を失う、無収入になる・・・

 

 それまで当たり前にあったもの、信じていたもの、支えにしていたもの、

 すべてを一度に失って、自分の存在価値がゼロになった。

 

 

39歳、年の瀬、曇天。

スーパーの袋をぶら下げてトボトボ帰る途中、

寒空の下で貧血を起こして、(食べていなかったから)

目の前の小さな神社で少し休もうと思ったのです。

 

賽銭箱の横に腰をおろし、目を閉じました。

そして、こんなことを口走りました。

 

「神様、私は一生懸命生きてきましたが、

どこかで何か間違えちゃったみたいです。

こんなになっちゃいました・・・

でも、もう、気力が残っていません。

私の人生はこれでいいですから、

神様のもとに帰してください」

 

そう言うやいなや、意識を失いました。

(たぶん数秒、数分?)

うっすらと、目を開けたとき、

まっ白な光、光、光・・・

 

その中に参道が見えてきて、 

「まだ生きてる…」と思いました。

 

と、言葉で言い表せないほど大きな、

やすらぎと温もりに、一気に包まれて、

「あー、神様の愛だ…」と感じたんです。

 

滂沱の涙がほおを伝いました。

私は立ちあがり、神殿を向いて合掌。

 

「この愛は、私にだけじゃない。

みんな、本当はこんなに深く愛されているのに、

それを知らないで生きている…

私は残りの人生で、そのことを伝えます。

どうか、私に神様の仕事を手伝わせてください」

 

必死に祈るうち、

生まれ直したかのように、気力がみなぎってきました。

 

このとき、 強く感じたのです。

「死ぬことは、こわくない。

死は、あの神様の愛に溶けることなんだ…」と。

 

この覚醒体験に私は救われました。

しかし、この体験への執着が、新たな苦しみの種になるとは、

そのときは知る由もありませんでした。

 

                  ―― つづく ――