ようこそ、ゆりりんのブログへ その2
― つづき ―
本を読むときも、会話するときも、
言葉を通して物事を理解しようとすると、それなりの時間を要しますよね。
でも、一瞥体験は、瞬きする間に大量の情報が落ちてくる感じ。
あれっと思った瞬間、すでに深い気づきの中にいるのです。
私が受け取った一瞬の情報、「自由だ!」をあえて文章にすると・・・
――私はもともと自由だった。
自由だから、勝手にマイ・シリアスドラマを創り出して、
とことんのめりこんでいたんだ・・・
なんてこった!
私はずっとここにいて、
どこにも行っていってないし、どこにも向かわなくてよかったんだ。
すべては、いまここに、完璧にある――
となるのですが、今日はこれにがんばって解説を加えてみます。(汗)
――私はもともと自由な存在。
あまりにも自由だから、そんな“本来の自分”を忘れて物事に深刻に悩むという、
人生ゲームにのめりこんでいただけなんだ。
本来の自分(ワタシ)は、生命エネルギーであり、
“永遠のいまここ” から、
私がこの世で体験する一部始終を、神聖な意識で見守っている。
人間を体験中の私は、何かを目指してがんばる必要なんてなくて、
ワタシが用意してくれた人生を、ただあるがままに楽しめばいい。
余計な心配はいらない。起きることはすべて、完璧なのだから――
うーん、やっぱり、わかりにくいですか?!
覚醒を言葉で起こすことはできないように、
その中身を言葉で表すことは、しょせんムリなのかもしれませんが、
意識を向ける方向をうながすことはできると思うのです。
ひとつの生命体として存在する “ワタシ”に目覚めることは、
筆舌に尽くしがたいほどのやすらぎです。
それは、深刻な人生ドラマの終焉であり、お気楽人生のはじまり。
宇宙的な目で、この世にいる私を見守りながら生きていきましょう。
私たちはひとつの生命体として、調和するようにできているから、
覚醒はだれの身にも、いつか必ず起きることだと信じます。
もしかしたら、
本当は、すでに不思議な体験や気づきがあったのに、
頭で打ち消してしまったり、逆に、そのことに執着して
迷路に入り込んでしまった人がいるかもしれません。
私は、39歳で最初の覚醒体験をしたとき、
あまりにも予備知識がなくて、すっかり思い違いをしてしまい、
それから20余年もの長いあいだ、悟りを求めてさまよいました。
(このことは追って詳しく書きますね)
そんな私の体験からあふれる言葉が、ひとつでもあなたの心に残って、
自分の正体を知る助けになればうれしく思います。
これを読んでくれるあなたは、まさにワタシだから!