ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

ご機嫌でいるのが 一番!

あっというまに、8月も3分の1が過ぎまして・・・

私のブログ、ほんとに気まぐれですみません。(>_<)

 

待っていてくださる方を思うと胸が痛むのですが、

それ以上に、書かなければ…と思うと胸が痛むので、

そこはわがままを許していただき、

伝えたい思いがわき上がったときにこのページを開きまーす。

 

 

今日は、「14年ぶりに車の運転したよ~~!」というお話から。

 

じつは私、長野にいたときはまったく運転してなかったんですね。

それが、沖縄で一時的に単身で暮らすことになって、

運転しなくては生きていけないという状況に・・・

 

で、14年ぶりにハンドルを握り締め、

体が覚えているはずの運転を、頭に頼って、

「次はこれ、次はここ注意!」と緊張に緊張して数回スーパーへ。

 

今日、「やっと慣れたぁ…」と思ったら、

心身の力がフ~と抜けて、一気に視野が開け、顔には微笑みが・・・

「ワォ、私オニガワラみたいな顔で運転してた」と気づいたしだい。トホホ

 

体がゆるんでリラックスしたとたん、不思議なことに、

目に見えない存在がたくさん車に同乗していて、

私を守ってくれているように感じたんです。

 

なんだかうれしくなって、

ありがたくなって、ジワ~と涙がにじんで…

「おっと、これが一番危ない!」と笑っちゃいました。(^▽^;)

 

 体がゆるむと、まわりがよく見えてきて、

その体験を楽しむ心のゆとりも生まれますね。

これは運転に限らず、すべてに言えることですが。。。

 

その逆を考えてみて。

 どう思われるか、めっちゃ気にしながら動いたとき。

 失敗できない…とビビりながら作業したとき。

 苦手なことを、冷や汗をかきかき続けたとき。

 

こういうの、もう思い出すだけで不快な緊張感がよみがえりません?

同じことをするのに、こんなに神経過敏になる必要は全然ないんです。

やめやめ、

これからはこっちでいきましょう!

 

 どう思われるかは、最初っから気にしない!!

  (どう思うかは相手の自由、と腹をくくりましょ)

 失敗なんて、人生にない! あるのは、必要な体験だけ!!

  (ビビるより、その場の体験を楽しむが勝ちョ)

 苦手なことはなるべくしない、得意な人に任せる!

  (人を評価することや、人に甘えることをいとわない)

 

また、まわりがよく見えてくると、

相手の気持ちとか相手のいいところが、ピーンとくるようになります。

それを認めて分かち合えば、

自分もまちがいなく、愉快で穏やかな気持ちで過ごせますよ。

 

 

小さなことは、大きなこと。

宇宙はいつだって、

小さなことの中に、大きなことを映して見せてくれます。

 

たかが運転、たかが作業、たかが人間関係…とあなどらないで。

日常のたかが…と思いがちな些細な物事の中にも、

宇宙の法則は、ちゃんと働いているのです。

 

その人の発想が、その人の体験(現実)を導き出す、という法則です。

 

言い方を変えると、

自分の目の前にある現象は、自分の意識の反映、

今の世の中の実態は、人々の集合意識の反映、と言えます。

 

だから、

 仕事をバカにすれば、バカにしたくなるような仕事しかめぐってこないし、

 地球人全員が「戦争はしない」と本気で思えば、一瞬で戦争はなくなるのです。

 (戦争もやむなしという発想の人がそれなりにいるから、なくならないだけ)

 

これは、小さなことの中に大きなことがある、ということのほんの一例。

 

 

今、私たちひとりひとりにできることは、

何があっても、できるだけ体をゆるませて『ご機嫌でいる』ことです。

これ、本当に大事なことなんですよ。

 

あなたがご機嫌でいると、自然に微笑みがこぼれ、愛がほとばしります。

すると、

あなたの意識が、宇宙の意識(光)につながりやすくなって、

実力や魅力がサラリと発揮されるようになるんですね。

 

早い話が、グンと運がよくなる!(^^)v

 

人生に幸運をもたらすためにも、

まわりの人に笑顔をもたらすためにも、

地球に平和をもたらすためにも、

自分にできることを率先してしようではありませんか。

 

さあ、体をゆるめて・・・超ご機嫌でいましょう!!

 

自分のサイズ 知ってる?

朝、ベッドから抜け出すと、

海面に光の帯を作って輝く朝日に合掌します。

 

ホントは朝日にじゃなくて、日の出に…と書きたいところですが、

けっこう高く上がっているので・・・あは

 

それから洗濯をしてベランダに干し終わると、

山と海に向かってお祈りします。

 

このマンションは海と山にはさまれて立っているので、

鉤の手になったベランダから、

玄関側にある山々と(長野目線でいうと丘かな?)

正面にある海が臨めるんです。

 

こうして、ささやかな私の一日がはじまります。

 

お気に入りの場所は、ベランダのコーナーポジション。

ここにリクライニングチェアを置いて、

ぼ~~っとしたり、本を読んだり、瞑想します。

 

また、海まで歩いて10分なので、

気が向くと、アーシングに出かけることも。

 

アーシングとは、素足で地面に触れることで、

体内に溜まった静電気を大地に流し、自然な電子を地球から取り入れる、

ひとつの健康法です。

 
裸足で海に入り、砂浜をのんびり歩いて、海と空に抱かれることは、
 
なんてゴージャス! 至福のきわみ!! 
 
 
で、思わず海で万歳をしたとき、ふと感じたんですね。
 
この解放感は、服を脱いで ‟すっぽんぽん” になる喜びだって。
 
 
服は、体形に沿って自分を囲っているもの。
 
私たちはつい、自分はその内側にいる思いがちです。
 
家にいたらいたで、狭い部屋の中で(服よりマシだけど)
 
やっぱり壁に囲まれた中に、自分はいると思ってしまう・・・
 
これ、勘違いなんです。
 
 
 
何が言いたいのかというと、
 
 
 
私たちは本来、小さな部屋に鎮座するような
 
ましてや、ピタピタの服の内側に収まっているような、
 
ちっぽけな存在じゃないよー! ということ。
 
 
逆に考えるとわかりやすいかも。
 
 
自分を囲っているものがない場所は、大自然の中です。
 
大自然に抱かれると、誰でも、わーって気持ちよくなるのは、
 
たぶん、自分が広がったように感じるから。
 
表現を変えると、もともと自分は広がっていることを自覚するからです
 
 
大自然はどこにでもあります。
 
そこに意識を持っていって、(そのための瞑想もグー)
 
何にも囲まれていない自分、心に枠などない自分を、思い出しましょう!
 
 
それを、‟すっぽんぽん” になる喜びといったんです
 
 
そして、
自然は、自分の外側にあるものじゃなくて、
 
自分はこの大自然の一部にほかならないということ
 
忘れないようにしたいですね。
 
 
私はベランダの片すみで、いつもそう思ってマス(*^^)v

自分がいるところを 楽園に!

ついに、沖縄ライフがはじまりました~~!

 

目線をパソコン画面から少しずらせば、そこは海。

なんともいえない蒼、青、あお。

水平線のはざまには、久高島がぽっかり。

 

ついこのあいだまで、

緑の山々を眺めて暮らしていたことが、なんだか夢のよう・・・

ま、夢と言えばこの世はみんな夢物語なわけですが、

どうせ見るなら、楽しい夢を見続けたいものですネ!

 

 

いざ、住みかが変わると、

もろもろの変更届や登録など、現実的な事柄に奔走することになるけど、

引っ越しにはじまった一連の出来事を、心の声はこう告げました。

「エネルギーをまわす」と。

 

動けば、別の動きや新たな出会いが生まれる。

出せば、次のものが入ってくる。

流せば、新風が舞い踊る…とのこと。

 

確かに、じっと動かずにいるとエネルギーは滞ってしまうから、

それが息苦しさや物足りなさとして感じられるようになるのかもしれませんね。

 

私がそうでした。

頭では「文句ない暮らしをしてる」と思っていましたが、

心が「もっと自由になれるよ」と言い出しまして、(>_<)

魂がブルっと震えたときには、

「ご和算に願いまして~」とそろばんをジャーとやる要領で、

それまでの暮らしにピリオドを打って、ゴー断捨離。

 

で、長野からはるばる沖縄へ。。。

 

この選択には、

「人生に風が吹いた」という表現がピッタリ!

「魂のブループリントに運ばれた」という表現も、妙に腑に落ちます。

 

こういうことって、だれの身にも起こり得るのでは?

かくかくしかじかと明瞭な理由は言えなくても、

それしかない!それが私の真実!というものにぶち当たること…

 

恋に落ちたときもそうですよね、と今思い出しました。(^▽^;)

 

もし、何か思い当ることがあったら、

そのときはあなたの人生に、風が吹いたんです。

魂のブループリントに、そうなるとすでに記されていたんですよ。 たぶん…

 

はたして人生は、

ひとりひとりが掲げた思いの通りに運ばれてゆくものなのか、

それとも、

ひとりひとりが掲げる思いまで、すでに決まっているものなのか、

そこはよくわかりませんが、

これだけは言えます。

 

今を最大限、大切にして、

少しでも、楽しいことに思いをはせて、

自分自身が、なるべくご機嫌でいられるような考え方を選択する。。。

 

と、結果として、

自然に自分を愛する生き方ができ、

自分以外の人にも、地球にも、やさしくあれるのではないでしょうか。

 

私たちには、本当は「こうあらねばならぬ」ことなどひとつもありません。

ひとりひとりが、真にありたいようにあればいいんです。

 

あなたは、いつもあなたのありたいようにあればいい。 

 

ほかの人も、その都度それぞれが体験したいことを、

意識的にせよ、無意識にせよ、選んで生きているんだから。

体験にいい悪いはないんです。

 

ありたいようにあることは、

自分勝手になることとは違いますよ。

自分の内奥が望むことを、意図して選ぶということ。

 

だって、私たちはみんな、

自分が人生の創造者になって、無限の可能性を試してみたくて、

あえて人間になって生まれてきたのだから!

 

物と 心と わたし

14年間、慣れ親しんだ我が家から、

自分の荷物がなくなっていくことは、

自分の足跡が消えていくような感じがするものですね。

 

人間は、目に見える物で「自分」の居場所を作り、

自分がそこに置く物で、自分を表現するのかもしれません・・・

 

なーんて、どうでもいいことを思いつつ、

心の中でおうちにお別れを告げました。

 

「大好きだったよ、このおうち。

今まで本当に、ありがとうね!

今度は別の人が、きっと気に入って住んでくれるよ」

 

 

自分の人生は、自分の思いのあらわれ。

だから、目の前にある物や関わる人は、心の写し。

無意識にわいてくる感情は、自分へのメッセージなんです。

 

生身の私は、よく感情が乱れるし、

物や人を大切にできないときもあるけれど、

それはいつも、自分が自分を大切にできていないとき…

 

そんなときは、

自分にあって当たり前のものなど、何一つないのに、

防衛して守り切れるものなど、何もないのに、

すべては移り変わると知っていながら、

何に執着しているの!?って思う…

 

ホントこわがりだねぇ、ゆりりんって。

 

今ここだけが、真実の場所。

今ここに生かされているイノチが、唯一の拠り所だよ。

 

イノチは宇宙、天意。

それは、愛そのもの。

天意に身をゆだね、流れに沿って生きていけばいい。

 

これから展開することを、判断しないで楽しめばいいんだよ。

いつも喜びに満ちて、謙虚に手を合わせて・・・

ね!

 

 

明日、ここ(長野)を離れます。

タイのチェンマイで一週間ほど自分と向き合う時間を持ち、

その後、名古屋で父と温泉に出かけ、

19日から、いよいよ沖縄ライフをスタートさせます。

 

このブログは、日記のような気まぐれなものですが、

読んでくれる人がいることを、心から感謝しています。

 

偶然はひとつもない人生で、あなたに会えてうれしい!

ありがとーー!! またね。(*^▽^*)/

 

今、疲れてます

いやはや、ご無沙汰してしまいました。('◇')ゞ

 沖縄で荷物を受け取って新生活の準備。

 沖縄から名古屋へ向かい、89歳の父の世話。

 沖縄から長野に戻り、最後の荷物整理=心の整理。

 

人生の変わり目は、意識の変わり目だとつくづく感じます。

心の奥から噴き出してくる雑多な感情を味わいつつ、

ジタバタして、

新たな選択をして、

よっしゃあー! とふたたび立ち上がる。。。

 

そんなことを繰り返すなかで、

ハタと気づいたことがありました。

 

 

体が疲れてくると、心の余裕をなくしてイライラしてきますよね。

普段はスルーできることも、心に引っかかってムカつく。

ああでもない、こうでもない…

(おお、久々の夫婦喧嘩 ( `ー´)ノ)

 

「もう、こんな感情は味わいたくない!

不快になる観念には縛られないぞって決めたのに…」

と、いつのまにか自分をなじりはじめてジタバタ。。。

 

そのとき、

湧いてくる嫌な感情から逃れたくて、

その自分から目を背けていたことに気づいたんです。

 

「そっか、これが今の私なんだからどっぷりつかってやれ」

と居直って、真正面から嫌な感情をなめはじめたら、

やっと聞こえましたよ、心の声が・・・

 

「これはもういい? じゃ、次は何を味わう?」

 

すると瞬間的に、

「今あるありがたいこと」にスッと心が向いて、

顔の筋肉が、ぐにゅ~っとゆるんでいくのがわかりました。

なんという怖い顔をしていたんでしょう…(笑)トホホ

 

 

嫌な感情は、

逃げれば、追いかける。(どこまでもついてくる)

向き合えば、昇華できる。(別の感情を味わえる)

 

自分に湧きあがった感情は、

どんなものも、すべて次に進むための起爆剤なんです。

 

もっといえば、メッセンジャー

 

だから、

「おー、そう感じるんだね」って聞いてあげると、

けっしてそれ以上自分を苦しめないし、 

その自分を責めたり、

その感情と敵対しなければ、

本当はどうしたいのか、心が方法を教えてくれます。

 

で、さっそく、

次はどうしたいのか心に聞いてみたら、

「疲れたから休みたい」って。 あぁ…

(やること山積みなのに)

 

仕方ない。ブログ書いたら昼寝しよっかな…

  

どっちに軸足を置く?

引っ越しの荷づくりに追われながら、

「時間ってなんなんだろう・・・」と思う。

 

時間に対して、

過去から未来に流れる絶対的な存在という感覚は、

すっかり薄れている。

 

毎瞬、新たな現象が現れては消えていく…

それを見たり、体験したりしている私がいるだけ。

 

もっと言うと、

その私は、いると言えばいるけど、

いないと言えばいない…という感じ。

 

いろんなことが起きているようで、

なにも起きていないという次元から眺めれば、

すべてが幻影とわかるから…

 

 

そろそろ言葉の限界なので、(-_-;)

話を「時間ってなんなんだろう・・・」に戻すと、

 

時間はあると言えばあるし、

ないと言えばない、ということになります。 

それを承知の上で、、、

 

三次元世界で人間を体験中の私たちは、

時間があることを人生ゲームのルールと割り切って、 

ハラハラ、ドキドキ、ワクワクする感情を楽しめばOK!

 

泣いたり、笑ったり、感動したり、

苦しむ自由さえあることを、

生きている実感として、豊かに味わえばいいんですよ。

 

でもね、いつだって、

「こうならなかったらダメだ」とか、

「こうじゃないと意味がない」なんて深刻にならないこと。

 

本当は、

あなたを追い詰めることなんて、だれにもできないんだから。 

心が傷つくのは、

自我が、傷つくような観念を取り入れているせいなんです。

 

眠っているとき、

あなたは人間スーツを脱いで、本来のワタシに還っています。

自我不在のあいだに元気を回復するためです。

 

つまり、

人間スーツが「自我=疲れの元」なんですね。

 

本来のワタシは、

「生命エネルギー」「ソレ」「純粋意識」・・・

疲れることも、失うことも、消えることもありません。

 

あなたがなんとなく感じている自分の正体…

根源的な存在のようなものがあるとすれば、

それがあなたです。

 

その自分に軸足を置いて、今抱えている悩みを見てみましょう。

解決することより、

体験することが、

人間に生まれてきた目的だとしたら、、、

 

その悩み、

「ま、なんか…どっちでもいっか」と思えませんか?

 

はじめから、大丈夫!

人生に、あれやこれや起きても、

そこで、不安や怒りがわいたとしても、

 

「どうしよう、一大事だ!」とあわてず、

深刻にならないと決めてしまえば、

 

「ほー、こうなったのねぇ…」と変化を味わう余裕が生まれて、

物事のプラスの面を楽しめるようになるでしょう。

 

深刻にならない。

ただ、このワザを覚えるだけで、

生きていくのが、ずっとラクになりますよ。(*^^)v

 

 

私は自分のことを「もしかしたら不安症?」とおびえたくらい、

クヨクヨ考える頭人間でした。

ある日、ついにキャパを超えて、頭の針が振り切ったとき、

「なーんだ、もともと大丈夫だったんだ…」と気づきました。

 

これを覚醒体験といっていますが・・・ 

それも過ぎれば、ただの記憶。

 

だけど、置き土産はデカかった!

 

感情も、思考も、わき起こるものは全部、

表れては消える ‟移ろい” に過ぎない。

 

もともと実体のない感情や思考に、

「私はそう思う。これが私よ!」としがみついて、

感情を絶対的なものに仕立てていた。

ということがわかったからです。

 

 

嫌な感情を生み出すのは、いつも観念。

それが頭の中をグルグルめぐって、

不安に満ちたドラマを作り出していたんですね。

 

嫌な感情は、すべて頭の中に描いたイメージ。

去りゆく雲のようなものだった…

 

早い話が、幻想です。

 

そのことに目覚めて、私の中から深刻さが消えました。

でも、

 モヤモヤ、イライラは、相変わらずやってきます。

 

そんなときは、「観念を手放すチャンス」と思ってじっとしていると、

嫌な感情が薄れていき、 

代わって、雲の隙間から青空が見えてきます。

 

この青空が、本来のワタシ。

 

青空に微笑むと、明るさ、温もり、安心感、愛がよみがえってきます。

 

現れては消える雲は、人生の彩り。 

青空は隠れもせず、最初からそこにあって、

おうおう、こんな雲がわいたね…と見守っている大きな自分なんです。

 

その自分が・・・ 

  人生に起こることに、いい悪いはないよ。

  すべては、魂の自分が計画した体験したいことなんだよ。

  だから、なにがあっても大丈夫! 

  なにがあっても、最初から救われているよ。 

 

と、ずっとエールを送りつづけているのです。