ありのまま、なるがまま

不自由ごっごをやめて ”私″から自由になろう!

はじめから、大丈夫!

人生に、あれやこれや起きても、

そこで、不安や怒りがわいたとしても、

 

「どうしよう、一大事だ!」とあわてず、

深刻にならないと決めてしまえば、

 

「ほー、こうなったのねぇ…」と変化を味わう余裕が生まれて、

物事のプラスの面を楽しめるようになるでしょう。

 

深刻にならない。

ただ、このワザを覚えるだけで、

生きていくのが、ずっとラクになりますよ。(*^^)v

 

 

私は自分のことを「もしかしたら不安症?」とおびえたくらい、

クヨクヨ考える頭人間でした。

ある日、ついにキャパを超えて、頭の針が振り切ったとき、

「なーんだ、もともと大丈夫だったんだ…」と気づきました。

 

これを覚醒体験といっていますが・・・ 

それも過ぎれば、ただの記憶。

 

だけど、置き土産はデカかった!

 

感情も、思考も、わき起こるものは全部、

表れては消える ‟移ろい” に過ぎない。

 

もともと実体のない感情や思考に、

「私はそう思う。これが私よ!」としがみついて、

感情を絶対的なものに仕立てていた。

ということがわかったからです。

 

 

嫌な感情を生み出すのは、いつも観念。

それが頭の中をグルグルめぐって、

不安に満ちたドラマを作り出していたんですね。

 

嫌な感情は、すべて頭の中に描いたイメージ。

去りゆく雲のようなものだった…

 

早い話が、幻想です。

 

そのことに目覚めて、私の中から深刻さが消えました。

でも、

 モヤモヤ、イライラは、相変わらずやってきます。

 

そんなときは、「観念を手放すチャンス」と思ってじっとしていると、

嫌な感情が薄れていき、 

代わって、雲の隙間から青空が見えてきます。

 

この青空が、本来のワタシ。

 

青空に微笑むと、明るさ、温もり、安心感、愛がよみがえってきます。

 

現れては消える雲は、人生の彩り。 

青空は隠れもせず、最初からそこにあって、

おうおう、こんな雲がわいたね…と見守っている大きな自分なんです。

 

その自分が・・・ 

  人生に起こることに、いい悪いはないよ。

  すべては、魂の自分が計画した体験したいことなんだよ。

  だから、なにがあっても大丈夫! 

  なにがあっても、最初から救われているよ。 

 

と、ずっとエールを送りつづけているのです。

 

住むとこ、見つけた!

ただいまぁ!

お久しぶりです。

 

沖縄に、海の見える部屋をめっけ。

契約してきましたぁ。(^^)v

 

あちこち回っていると、

すばらしい海の景観はあるけど、築29年とか、

新築だけど、海はかなたにチラリと見えるだけとか、

まあ、迷うこと迷うこと。

 

もうどうしよう・・・と思って最後に見に行ったマンション。

部屋に入るなり、

「これ、ヴィジョンにあった…」と、びっくり仰天!

  

じつは、

‟自分がデスクの横にたたずんで水平線を眺めているヴィジョン”

を見たことがあったんです。

そのとき「沖縄に住んでる私がいる…」と感じたのがきっかけで、

移住を考えるようになりました。

 

どうせなら、神の島と呼ばれる久高島を眺めながら暮らしたい!

と、当時は痛切に思ったんですが、

いざ、現地に出かけて物件を探しはじめると、

バーンと海が見える部屋というだけできびしいと言われ、

久高島のことは、正直すっかり忘れていました。 

 

 で、その部屋に足を踏み入れたとき、

正面を指さして「あれは…」と言い終わらないうちに、

「久高島です」と不動産屋のお兄さんの声。

 

「そうか、ここだったのかぁ」と心の中で思いました。

 

ただ、そこ、4階でエレベーターがないんです。

アッチャー (>_<)

ま、エクササイズのつもりで小尻目指してがんばるっきゃない、、、

と腹をくくって決めました。

 

これから引っ越しの準備に取りかかります。フ―

そして、6月から7月にかけて生活拠点を移す予定。

 

 

今回、つくづく感じたことがあります。

「人生は、なるようになる」ということ。

ワクワクして純粋にそうなると信じれば、本当にそうなるのだと。

 

そうなると信じれば、行動を起こすし、

それで満足するから、流れに身を任せられるのかもしれません。

ホームページの5月のエッセイに書いた通り、

「根拠のない大丈夫」が私を支えてくれました。

 

でもね、これはけして特別なことではないんですよ。

だれにでもできることだから、こうして書いているんです。

 

あなたが心から「こんな生き方をしたい!」と思うことがあって、

そうなった自分を思い浮かべるとワクワクするならば、

自分の人生を信じて実行してみませんか。

 

ただ、ワクワクを実行するときはハラハラします。

そのハラハラを、本当は体験したいのかもしれないということなんです。

 

頭は、すぐ疑念や不安を持ち出して、

どうしてそんなことするの!と言ってくるでしょうねぇ。

でも、そうした観念があなたではありません。

 

あなたは、未知の体験をしたくて地球に生まれてきた

イノチそのもの。

 

未知の体験には、ワクワクも、イジイジも、すべて入ります。

だから、なにをするのが正しいということではなく、

自分がなにを楽しいと感じるかが一番大事!

 

私はたまたま新天地を求めることに楽しみを見出しただけです。

あなたは、本当はどんな未知の体験をしたいのでしょうか…? 

 

行動開始~!

年齢を重ねると、先細りのイメージがついてまわり、

「私はどうなっちゃうんだろう?」

と不安が募ります。

 

というか、そうなるのは超簡単なんですョ。実感…(-_-;)

 

そこで、

「どうなるのか?」ではなく、

「どうしたいのか?」で生きる。

と改めて決心したわけです。

 

残り少ない人生ならばなおのこと、

好きなことをしないでどうする!

と思ったんですね。

 

かといって、

若いときと同じように動き回るのは、

むりむり。

 

体と相談しながら、

小さなワクワクを取りこぼさないように、

できることを、できるときに、できるだけ、

思いきり楽しもう。

 

それでいいと思ったら、

なにがどうということはないけれど、

しあわせだなぁ・・・

壮大な計画なんてないけど、

なんかおもしろいなぁ・・・ って感じたんです。

 

そんなある日、

庭の芝の上で大の字になって、ぼーっと山々を眺めていたら、

 今度は砂浜で大の字になって、ぼーっと海を眺めたいナ。

 14年間、山を満喫したから、

 これからは、海を満喫したい!

と思ったんですね。

 

すると間髪入れず、自我が、

 そんなむちゃな、今さら引っ越しする気あるの?

 やっと建てたこの家、終の棲家じゃなかったの?

とワイワイ騒ぎ立てます。

 

で、自分自身とじっくり話し合いました。

沖縄が呼んでる……

なにかはじまりそう……

そんな直感にしたがうのもいいかも……

もう、それしかないよね……

 

本気なら、アクションを起こそう!

 

ということになり、 

ポツポツ断捨離はしていましたが、

今週からひとまず沖縄に行って、

沖縄の海の近くにアパートを借りて、

新たな一歩を踏み出す準備を整えることにしました。

 

実際、行かないとわからないことばかりで。。。(汗)

戻ったら、また報告しまーす。(*'▽')/

 

最初からマルだった!

目覚めるとは、

「もともとそうだったんだ!」という気づきです。

気づくだけ、特別な人になるわけではありません。

 

もともとそうだったこととは、

ひとつは、ありのままの自分でいい

もうひとつは、どこへも向かわなくていい。 

 

 

私はいくつになっても、

気が利かないし、ドジだし、気が小さいし、自己チュウだし、

にもかかわらず・・・ 

「ありのままの自分でいい、なんの問題もない!」

ということが、ズドーンと腑に落ちたんです。

 

それは、なんという安堵…よかったぁ… (*´з`)

 

以来、

自分や人にムカついて、不快な感情におそわれても、

前みたいにあわてなくなりました。

 

不快な感情は風みたいなもの。

だれのせいでもなく、ただ生まれて、

ス~ッと自分を通過していくことがわかったから。

 

相手は風ですよ。

なんとかできるはずもない。

「なんにもしない!」に限ります。

 

でもね、前は真逆のことをしていました。

観念という箱に、感情という風を押し込んで、

どこからきた? だれのせいだ? と問い詰めては、

「このままではいけない!」とイライラしていたんですね。

 

これはまさに、一人二役の〝ザ・ひとり芝居〟(>_<)

 

苦しみは、ひとり芝居の産物なんです。

 

ありのままの自分を受け入れてからは、

ひとり芝居どころか、ひとり反省会もしなくなりました。

 

「えー、反省もしないのぉ?」と思いますか?

ごめんなさい…は言いますよ。

心を込めて。

 

で、おしまい。

 

すぐ今に戻って、

ありのままの自分を愛することに、心を砕きます。 

 

 

もうひとつの「どこへも向かわなくていい」は、

優れた人物になろうとしなくていい、ということ。

 

ゴールを設定して、

今の状態ではダメ!

これじゃ、人から評価されない!

もっとがんばらなくちゃいけない!

と自分に鞭打っていると、どんどん苦しくなります。

 

「どこへも向かわなくていい」という気づきは、

今は、鞭に耐えて走る時間じゃなくて、

今がすでにゴールなんだよ。

ということを教えてくれました。

 

なりたい自分になるために、今があるのではなく、

どこまでいっても今しかないと腹をくくって、

今あるすべてを楽しんでいると、なりたい自分になっていくんです。

 

それからやっと、今にくつろげるようになりました。

 

そしたらなんと、人生から深刻さが消えて、

「お気楽」になり、「ご機嫌さん」になり・・・

 

自分は最初から救われていた。

 

もともとそうだったんだ、と合点がいって、

めちゃくちゃ安心したんです。

 

もちろんあなたも、まったく、そのままで、マルです!! 

 

ほどけた心

前回のブログ、「奇跡だ~!」に書いた、 

 ――いろんな出来事や体験に、もともと意味はなくて、 

   意味は、自分が自由につければいい。

   それによって人生の展開が決まる――

について、もう少し書きます。 

 

ひとつの出来事は、無数の背景があって生じます。

無数ということは、

○○のせいと簡単には決められないし、

いい悪いを一概には決められない、ということです。

 

出来事は、淡々と、永遠に、起こり続けます。

それが宇宙の営み。

どんな出来事にも、もともとの意味はありません。

 

出来事に意味をつけるのは、あくまでも本人。

自分が解釈の仕方を自由に決めているんですね。

 

もっと言うと、「解釈=自分」

どう解釈するかで、今の自分はこう、と見せているのです。

 

「変わりたくても変われない」と思うのも、

「私ばかりついてない」となげくのも、

ほかの人の意見を鵜呑みにするのも、自由です。

 

「大切なことに気づけてよかった」と思うのも、

「これですんだのだから運がいい」と感謝するのも、

自分の信念を貫こうとするのも、自由です。

 

そして私たちは、

自分が解釈した通りの感情を味わうようになっています。

 

結局はそうやって、

ひとりひとりが、それぞれの現実を選んでいるということです。

 

そういうと、

「プラス思考が大事!」と思われがちですが・・・

 

もちろん、それが自分のものになっていれば問題ありませんが、

「マイナスはダメ、プラスに考えるべき」にこだわってしまうと、

本末転倒。

心はもっと不自由になります。

 

 

そこで、提案!

 

不本意な出来事に出くわしたら、

「出来事を突き放す」というのをやってみませんか。

 

うたかたの出来事に感情をもてあぞばれて、

過去から未来に続くストーリーを紡ぎ出さないこと。

それで頭をいっぱいにしないことが、

本当に重要だから。

 

我関せず…を決め込んで、

いっさいジャッジしない!

心を動かさない!!

 

心を動かさないと、どうなるか…?

 

ジワジワと、自分への愛があふれてきます。

 

だって、あなたの正体は愛だから。

「いいよ、いいよ、なんとかなる、大丈夫!」

そんな ‟ほどけた心” がよみがえってくるでしょう。

 

ほどけて、ほとけて、ほとけ(仏)になる・・・

 

許す心も、癒す心も、励ます心も、

仏心は、すべて愛のバリエーション。

それは絞り出すものではなく、沁み出てくるものなのです。

 

また、心を動かさないと、

物事の結果や、人の動向も、自然と気にならなくなりますよ。

 

なぜなら、

そんなことより、自分への愛を感じていることのほうが、

はるかに価値があると思うようになるからです。

 

自分への愛と書きましたが、

愛に、自分用とほかの人用の別があるわけではありません。

愛は一元です。

 

一元の愛で、あなたの人生を展開させていきましょう! 

 

奇跡だ~!

― 絶対感謝 ― 

これが生きる信条、というか、

もうこれしかありません…という感じ。

 

何に感謝しているのかというと、

すべて。

すべてだから、絶対なんです。

 

 

振り返ってみると・・・ 

 

「いい悪い」という判断をしなくなって、

目の前の現象は自分の心の写し、と知ってから…

 

いろんな出来事や体験に、もともと意味はなくて、 

意味は、自分が自由につければいい。

それによって人生の展開が決まる、とわかってから…

 

人間として地球に生まれて、このような、

 人間から見れば、手の込んだ、

 宇宙から見れば、超シンプルな、

ものすごい体験をしていることを、

「これは奇跡だ~!」と感じるようになったんです。

 

そんな奇跡の中で生かされているんだなぁ…と思うと、

たまらなくありがたいんです。 

 

絶対感謝とは、

何があっても絶対に感謝の心をなくさないこと。

そういうと、

不幸な出来事も? 病気も? 家族の死も? 

と思うかもしれませんが…

 

不幸を感じるのは、それまでが幸せだったからでしょう?

病気になる前は、健康だったんだし、

家族が亡くなるまでは、一緒に生きていたわけです。

 

そうやって見方を変えたとき、

不幸にも、病気にも、肉体の死にも、

それが存在する意味を見出すことができました。

 

見出すと、どっと感謝があふれます。

これが、‟気づき” 。

 

気づきは、自分にとっての真実であり、小さな目覚めです。

 

この気づきを何度も何度もくり返して、

感謝は深まっていくんです。

 

 

うーん、感謝はしてるけど・・・

と「けど」が口を突いて出るうちは、

いい悪いの判断がいっぱいあって、

いいときだけの感謝になっているのでしょう。

 

でもね、

「絶対感謝で生きる!」とコミットすれば、

心はいつも、ありがたいことを必死に探します。

 

すると、

ありがたいことを探すのがだんだん上手になっていって、

それが普通、それが当たり前になったとき、

絶対感謝が生まれます。

 

本気でコミットしませんか。

そして一緒に、「これは奇跡だ~~!」と叫びましょう。

 

気づくと、消える

気づくと、消えるものを発見!

 

それは、ふいと表れたエゴ意識、‟自我” です。

 

自我は、己の心身を守ることが使命なので、

目を皿のようにして問題を探しては、

「このままではいけない!」と訴えます。

 

そして、不安、猜疑心、焦り、劣等感など、

不快な感情をあおって、「自分を守れ」と迫ります。

 

以前の私は、

自分の損得しか考えない自我に嫌気が差して、

ああ、解放されたい!

早く安心、信頼、平和、与える心に浸りたい!

と願いました。

 

だけど、

自我を何とかしようと思えば思うほど、

自我はデーンと居座ったまま、消える気配がありません。

 

それもそのはず、

無理やり消そうとすればするほど、

自我はあらゆる観念を持ち出して、抵抗するからです。

 

でもでも、

存在に気づいて「いたねぇ」と言うと、引っ込む。 

なんと、その場から消えるんです!

 

一番仲良くしたい心身と仲良くするのに、

自我と戦って、力を消耗することはありません。

ただ、気づけばいい。気づくだけ…

 

不快な感情に対して、

「いやだ、どうしよう」とか、

「困った、なんとかしなくちゃ」と考えはじめるのは、NG。

 

「あ、めっけ」とか、

「今日も張り切ってるネ」と思うだけで、OK。

それ以上、頭も心も使わないことが鍵です。

 

私はこの仕組みがわかってから、

自我と格闘したり、葛藤することがなくなりました。

 

 

考えてみれば、

自我は、世界にひとつだけの個性、

マイ・人間スーツの「特注パーツ」ですもんね。

 

日々、身の安全をバッチリ守ってくれます。

だから、自我を否定しないこと。

 

その代わり、

自我と同じ土俵には立たない。 

自我に同調して(恐れて)自分を動かそうとしないことが大事です。

 

この地球という相対的な世界にいる限り、

自我があおり立てる不快な感情を、体験せざるを得ないけど、

それがあるから、

対極にある喜びや安らぎ、感動などを、快感として味わえるんです。

 

それをつくづく感じると、 

「自我もがんばってるナ」という気持ちになるかもしれません。

 

 

私たちは、

人生を体験するのにいらないものは、ひとつも身につけていません。

それぞれの人間スーツは、完璧です。

 

だから、自我に悩むなんて、やめ、やめ、やめですよ。

 

人間として人生を体験しているあいだは、

自分にあるものをフル活用して、

うーんと笑って、たっぷり泣いて、楽しく生きていきましょう!